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 ルドウィンは、ユナを前に乗せ、全速力で愛馬を飛ばした。たてがみにつかまりながら、ユナはくちびるを噛む。ルシナンに行くにしろ行かないにしろ、村にいてはいけなかったのだ。
 風を切って駆けるなか、彼女を包むように手綱をとる彼の身体は温かく、彼が時おりかける声は、思いのほかやさしかったが、いまのユナにはどんな言葉も届かなかった。
 灰色の騎士を見たといって、セイルがおびえたことがある。そのとき、ユナはいった。もしそんな奴が現れたら、自分が彼女を守ってあげると。
 ごめんね、セイル。本当にごめん。何度も心でいいながら、ユナは、涙でかすむ瞳で、ひたすら行く手を見つめていた。
 途中、河畔で馬に水を飲ませ、長い橋を渡ったあと、リーヴェイン杉の森を抜けると、ぱっと視界が開けた。ユナは息を呑む。
 緑に囲まれた丘の街。石造りの建物が、やわらかな新緑と調和して、その頂には優美な王宮が輝いている。こんなときでなければ、どんなに胸が高鳴っただろう。
 丘のふもとにさしかかったアリドリアスは、速度を緩めることなく、曲がりくねった石畳の坂道を駆け上がる。美しい馬なのに、少しもひと目をひかずに、行き交う馬車や馬、人びとのあいだを縫ってゆく。
 ユナはルドウィンを振り返った。
「誰もあなたが王子だって気づかないのね」
「初めて会ったとき、きみは気づいた?」
 ユナは言葉につまる。
「人が目に留めるのは、王家の馬飾りやきらびやかな衣装だ。それと、どんなところでも目立たずに行くコツがあるのさ」
「どんなコツ?」
「気配を消すんだ」
 
 門を駆け抜け、ゆるやかな坂を登り切ったところで、ルドウィンは、さっと降り立ってユナを降ろした。そして、全身から玉の汗を噴き出し、もうもうと湯気を立てている愛馬の首をやさしく叩き、駆け寄ってきた馬丁に手綱を渡す。
「水と飼い葉をたっぷりやってくれ。正午過ぎに出発する」
 ユナの前には、クリーム色を帯びた石造りの王宮が、文字通りそびえたっていた。近くで見ると、美しいというより荘厳で、ユナはただ言葉もなく仰ぎ見る。
「行くぞ」ルドウィンにうながされ、ユナは広い大理石の階段を上がった。
 居並ぶ衛兵がいっせいに敬礼をするなか、ダンスパーティにいた側近が走ってきた。
「ルドウィンさま!」
「心配かけたな、サザレ。彼女は無事だ。着替えられるよう、部屋に案内してやってくれ」
「ヒューディはどこ? 彼に会わせて」
「あとだ。まずは国王に会ってもらう」
 
 ユナに用意された衣装は、膝がやっと隠れる丈の質素な生成りで、共布のサッシュベルトがなければ、まるで侍女のネグリジェだった。着替えをすませて側近と王の間に向かうと、ルドウィンはすでに来ていた。
「さあ、国王が待っているよ」
 ユナは、てんがいつきの大きな寝台の脇に通された。金糸で縁どられたカーテンが下がり、なかば開いたそのあいだから、横たわる王の姿が見えた。髪は白く、ほおはこけ、五十歳の祝典から何年もたっていないのに、実際の年齢よりずっと老けて見える。
 王妃が亡くなったあと病に倒れ、病状の回復が思わしくなく、退位を考えているとの噂もあったが、あながち単なる噂ではないのかもしれない。
「父上」ルドウィンが近くによって身をかがめる。「こちらがユリディケです」
「陛下」ユナはひざまずき、こうべを垂れた。
「ユリディケ」王は、その弱った身体のどこからでるのかと思えるほど、はりのある深い声でいった。「よく来てくれた。さあ、顔を見せておくれ」
 ユナは顔を上げる。ルドウィンと同じ濃い瞳が、まっすぐに彼女を見つめた。
 先代の王は早世で、カルザス王は若くして王位に就いており、眉間に刻まれた深いしわは、一国のあるじとしての長年の労苦を物語っていたが、その瞳には力強い光があり、それがユナの心を激しく打った。
「ユリディケ。ルシタナの再来である娘よ。なるほどそなたは美しい。その澄んだ瞳が、真の勇気とやさしさを宿しているのが、わたしには、はっきりと見える」
 ユナは恥じ入った。国王はわたしを買いかぶっている。自分はそんな人間ではない。
「神がそなたに与えた道は、長く険しい。ゆくてには、思いもかけぬ試練が待っていよう。されど、最後までその道をゆくがよい。
 よいかな、ユリディケ。真実、あるいは真理というものは、時として深く隠されておる。その澄んだ瞳で、しかと見ることだ。真理を求めれば、神は必ずそなたのそばにいる。そのことを、よく覚えておくのだよ」
 王はほほえみ、それから、限りなくあたたかなまなざしを彼女に注いだ。
「ユリディケ。そなたはウォルダナの宝だ」
 ユナは、そのまなざしにこたえるすべを知らなかった。身も心もふるえ、そのあとどうやって下がったかも覚えていない。
 気がつくと、ルドウィンが王のかたわらにひざまずき、こういっていた。
「民間で医療団を募るという話も聞いています。彼らの助けも必要となるでしょう。あとのことは、ドレセンに任せてあります」
 ドレセンはルドウィンの従弟で、王の亡き妹の息子である。
「必ず戻るつもりです。しかし、万が一の場合は、ドレセンを後継者に」
 カルザス王は黙したまま息子を見つめた。その瞳には、いましがたユナを見つめたときとは別の光が宿っていた。