少年たちの向かいの部屋では、ヒューディもまた、眠れぬ夜をすごしていた。高窓から青い月の光が降りそそぐなか、おぞましい騎士の姿と、やさしいレアナの面影が交互に浮かんでくる。
 レアナ……。ヒューディはため息をもらす。
 ウォルダナにやってきたのは、音楽院を受けるためだ。けれど、自分をこの国に呼び戻したのは、レアナへの想いだったのだと、彼は悟った。心の奥にずっと、彼女の面影があったからだと。
 別れ際、どうしてもっと強く抱きしめ、好きだとひとこといえなかったのか。もう二度と会えないかもしれないのに。
 彼は枕の下に手を入れ、小さなサテンの袋を取りだした。袋の口をゆるめると、薄いレンズのような水晶がすべりでる。
 ずっとポケットにあったのに、レアナの家で洋服ダンスに掛けたときも、今夜身につけたときも、まったく気づかなかった。あたかも、水晶そのものが、じっと息をひそめていたかのようだ……。
 そっと片手をかざすと、水晶が淡い光を帯び、美しい面影が浮かび上がった。
 ユナ。彼のよく知る幼なじみ。けれど、水晶の中のユナには、いつもの明るさとは違う深いかげりがあった。
 灰色の騎士は必ず追ってくる。そう王子はいった。だから、明日にはここを発つと。彼らが傷を癒やし、仲間を引き連れてくる前に、できるだけ引き離しておきたいと||
 不意にノックの音が響き、ヒューディは水晶を取り落としそうになる。
 誰だろう? 彼がここにいることを知っているのは、ごく限られた者だけだ。水晶を枕の下に押し込むと、ヒューディは息を殺して寝台からすべりでる。
 心臓をどきどきさせながら、足音をしのばせて扉に近づくと、陽気な声が響いた。
「ヒューディ! 起きてるか? 俺たちだよ。フォゼとジョージョー」
 彼は胸をなでおろす。襲われた使者の言伝を届けた少年たちだ。ダンスパーティでヒューディたちが助かったのは、王子がその言伝を聞いて、すべてに備えていたからだ。それなのに、ちらっと顔を合わせただけで、ろくに礼もいっていなかった。
「やあ」彼は扉を開ける。
 ころころとした方のフォゼが、ワインの瓶を手に、笑顔で立っていた。その後ろにのっぽのジョージョー。こちらは、燭台を手におどおどして、いまにも回れ右をしそうだ。
「悪い」とフォゼ。「起こしちまったかな?」
「いや、起きてたよ」
「よかった」フォゼはいい、ワインの瓶を掲げてみせる。「一緒にどうかと思ってさ」
「あの||邪魔だったら、戻るよ」とジョージョー。
「とんでもない。さ、入って」
 彼の言葉に、フォゼはすたすた奥へいったが、ジョージョーはまだもじもじしている。
「ひと晩中そこで立ってるつもり?」そういって笑うと、ジョージョーはようやくおずおずと入ってきた。ヒューディはキャビネットに歩み寄り、適当なグラスをさがす。「来てくれてよかった。ちょうとお礼を||
 突然、後頭部に衝撃が走り、そして、闇が訪れた。
 
「なあフォゼ。秘密の抜け道を探そうなんて、やっぱ無理な話だよ」壁の松明がところどころあたりを照らしているだけの、暗い回廊を歩きながら、ジョージョーが情けない声でいう。「戻って素直にあやま||
「しっ」フォゼはジョージョーを引っぱり、円柱の陰に身を隠す。
 足音が響いて、火影が亡霊のように近づいてきたかと思うと、大きな影が石の壁に映し出された。巡回の衛兵だ。
 彼らが通り過ぎるのを待って、フォゼがいう。
「勘を働かせろよ、勘を。もっと自分のことをついてるって信じろよ」
「ついてるなんて思えないんだなぁ。あんなに俺たちを信じてたやつを殴るなんて。きっと罰が当たるよ」
 ジョージョーは、担いでいた麻袋を降ろして壁にもたれかかる。と、ギギギ……という音とともに、その細い身体が壁に吸いこまれ、フォゼの目の前に、下へと続く階段が姿を現した。
「こいつはついてるぜ!」フォゼは顔を輝かせる。
 彼は壁の松明を手にとり、暗い通路を降りていった。人がひとりやっと通れるほどの幅しかなく、ひんやりとしてかび臭い。
 しばらく行くと階段は終わり、ゆるい上りになった。
「待ってくれよぉ」後ろでジョージョーがいう。「俺、なんだか頭がくらくらしてきた」
「おい、こんなとこで倒れるなよ。もうじき外だ。ほら、風の音が聞こえる」
「もうだめだ……休ませて……」ジョージョーの声はかすれ、ほとんど聞き取れない。
 フォゼが振り向くと、ジョージョーはへなへなと座り込むところだった。
「しょうがねえなあ」フォゼは松明を壁に立てかけ、担いでいた麻袋を抱え込むようにあぐらをかく。
 彼の麻袋には失敬した調度品や銀器がどっさりと詰め込んであるが、もっとも気になっているのは、先ほど急いでポケットに突っ込んだ水晶だ。ここまで来ればこっちのもの。じっくり拝ませていただくとするか。
 ポケットから取りだし、完璧なカーブを描くレンズのような水晶を手のひらにのせた。
「見ろよ! さすがルシナン王室からの贈り物だ。そんじょそこらの水晶とはわけが違う。思い切り高値で売れるぞ」すべらかで冷たい感触にぞくぞくしながらなでたあと、そっと離して、愛おしそうに見つめる。
 と、透明な水晶の中心がぼうっと光った。
「な||なんだ?」フォゼは瞬きする。
 水晶のおもてに、若い娘の顔が浮かび上がった。
「すんげえべっぴんだ……」
 魅せられたようにつぶやいたとき、石の壁に靴音が響いた。フォゼは、はっと顔を上げる。ガチャガチャという重い金属音。聞き覚えのある、拍車のついたちょうの音||
 ぞわっと鳥肌が立った。
「やばい||
 音は外からこちらに向かってくる。
「戻るぞ、相棒」フォゼは腰を上げようとしたが、足に力が入らない。
 ジョージョーは、隣でへたりこんだまま、ただガチガチと歯を鳴らしている。
 重い靴音が迫ってきた。それから、こもったような息づかいが聞こえ、次の瞬間、あの忘れもしない灰色の騎士たちが姿を現した。