第7章 前半へ12第7章 後半へ

 少年たちの向かいの部屋では、ヒューディもまた、眠れぬ夜をすごしていた。
 身体はぐったり疲れているのに、横になっても一睡もできない。高窓から青い月の光が降りそそぐなか、おぞましい騎士の姿と、やさしいレアナの面影が交互に浮かんでくる。
 レアナ……。
 ヒューディはため息をもらす。
 将来、音楽ホールの設計をしたいというのは本当だ。けれども、自分をこの国に呼び戻したのは、仕事への夢より、レアナへの想いだったのだと、彼は悟った。ルシナンに渡ったあと、人並みには女の子とつきあったものの、誰とも長く続かなかったのは、心の奥にずっと、彼女の面影があったからなのだと。
 別れ際、どうして彼女に思いの丈を伝えなかったのか。どうしてもっと強く抱きしめ、好きだとひとこといえなかったのか。もう二度と会えないかもしれないのに……。
 ヒューディはふたたびため息をもらす。それから、枕の下に手を入れ、小さなベルベットの袋を取りだした。袋の口をゆるめて軽く振る。レンズのような水晶が手のひらにすべりでた。
 なめらかで、ひんやりとした感触。その上で片手をかざすと、水晶がぼうっと淡い光を帯び、美しい面影が浮かび上がった。
 ユナ。彼のよく知る幼なじみ。
 けれども、その神秘的なフィーンの水晶の中のユナには、いつもの明るさとは違う、深い翳りがあった。
 灰色の騎士は肉体を癒し、必ずまた追ってくる。そう王子はいった。だから、明日には城を発たなくてはならないと。彼らが完全に復活し、仲間を引き連れて襲ってくる前に、できるだけ引き離しておきたいのだと……。
 不意にノックの音が響き、ヒューディは水晶を取り落としそうになる。
 誰だろう? 彼がここにいることを知っているのは、ごく限られた者だけだ。水晶を袋に戻して枕の下に押し込むと、ヒューディは息を殺して寝台からすべりでた。
 心臓が飛びだしそうにどきどきと打つ。ルドウィン王子か側近だろうか? なにか不測の事態が起こったのか、それとも||
 暖炉の火掻き棒をつかみ、足音をしのばせて扉に近づく。身をかがめて鍵穴をのぞこうとしたとき、陽気な声が響いた。
「ヒューディ! 起きてるか? 俺たちだよ。フォゼとジョージョー」
 思わず胸をなでおろす。使者が灰色の騎士に襲われた現場に居合わせ、彼の言伝を届けにこの城にやってきた、ちょっと年下の少年たちだ。
 ダンスパーティでヒューディたちが助かったのは、ルドウィンがその言伝を聞き、すべてに備えていたからだ。そうでなければ、どうなっていたことか。それなのに、少年たちとは、まだちらっと顔を合わせただけで、ろくに礼もいっていなかった。
「やあ」ヒューディは扉を開ける。
 ころころと太った小柄なフォゼが、ワインの瓶を片手に笑顔で立っていた。その後ろには、ひょろりとしたのっぽのジョージョー。こちらは燭台を手に、どこかそわそわした様子で、いまにも回れ右をしそうだ。
「悪い」とフォゼ。「起こしちまったかな?」
「いや、ちょっと前に目が覚めて、起きてたところだ」
「ならよかった」フォゼはほっとしたようにいい、ワインの瓶を掲げてみせる。「お互いゆっくり話す間もなかったし、一緒に酒でもと思ってさ」
「あの||邪魔なら戻るよ」とジョージョー。「いてっ」どうやら、フォゼに肘で突かれたらしい。
「とんでもない。さあ、入って」
 ヒューディが招き入れると、フォゼはすたすたと奥へいったが、ジョージョーは扉の前でもじもじしている。
「遠慮するなよ。そっちの椅子にでも座ってて」
 ようやくおずおずと入ってくると、ジョージョーは肘掛け椅子にそうっと腰を下ろした。フォゼは、ヒューディがキャビネットの方へ歩いていくあいだ、うろうろしながら部屋を見まわす。
「すげえな。俺たちの部屋よかしゃてる」
「豪華すぎて、なんだか落ち着かないよね」ヒューディは笑い、キャビネットを開けて、適当なグラスをさがす。「来てくれてよかった。ちょうどお礼をいいたいと||
 突然、後頭部に衝撃が走り、そして、闇が訪れた。
 
 地下の回廊は、思ったより広かった。しかし、たいそう暗く、壁にかけられた松明がところどころあたりを照らしているだけで、足もとすらおぼつかない。
「なあフォゼ。秘密の抜け道を探そうなんて、やっぱ無理な話だよ」ジョージョーが情けない声でいう。「戻って素直にあやまろ||
「しっ」フォゼはジョージョーを引っぱり、円柱の陰に身を隠す。
 足音が響いて、火影が亡霊のように近づいてきたかと思うと、大きな影が石の壁に映し出された。衛兵の巡回だ。
 彼らが通り過ぎるのを待って、フォゼがいう。
「勘を働かせろよ、勘を。もっと自分のことをついてるって信じろよ」
「ついてるなんて思えないんだなぁ」ジョージョーはため息をついた。「あんなに俺たちを信じてたヒューディを殴るなんて。きっと罰が当たるよ」
 ジョージョーは、担いでいた麻袋を降ろして壁にもたれかかる。と、ギギギ……という音とともに、その細い身体が壁に吸いこまれ、フォゼの目の前に、下へと続く階段が姿を現した。
「こいつはついてるぜ!」フォゼは顔を輝かせる。
 彼は壁の松明を手にとり、暗い通路を降りていった。人がひとりやっと通れるほどの幅しかなく、ひんやりとしてかび臭い。
 しばらく行くと階段は終わり、ゆるい上りになった。
「待ってくれよぉ」後ろでジョージョーがいう。「俺、なんだか頭がくらくらしてきた」
「おい、こんなとこで倒れるなよ。もうじき外だ。ほら、風の音が聞こえる」
「もうだめだ……ちょっと休ませて……」かすれた声でいうと、ジョージョーは麻袋をどさっと降ろし、へなへなと座りこむ。
 フォゼは振り向き、ため息をついた。
「しょうがねえなあ」松明を壁に立てかけ、自分が担いでいた麻袋を抱え込むようにあぐらをかく。
 麻袋には失敬した調度品や銀器がどっさりと詰め込んであるが、彼がもっとも気になっているのは、先ほど急いでポケットに突っ込んだ水晶だ。ここまで来ればこっちのもの。じっくり拝ませていただくとするか。
 フォゼは、ポケットから、薄い小さなベルベットの袋を引っ張り出し、逆さにして軽く振った。
 手のひらに、完璧なカーブを描くレンズのような水晶がすべり落ちる。
 その冷たい感触に、フォゼはぞくぞくした。
「どうだい、このすべらかなこと! さすがルシナン王室からの贈り物だ。そんじょそこらの水晶とはわけが違う。思い切り高値で売れるぞ」彼はいい、愛おしそうに水晶の表面をなでる。
 そのとたん、透明な水晶の中心がぼうっと光った。
「な||なんだ?」
 ぎょっとして片手を離すと、水晶のおもてに、若い娘の顔が浮かび上がった。フォゼは思わず瞬きし、魅せられたように見つめる。
「すんげえべっぴんだ……」
 そのとき、石の壁に靴音が響いた。
 彼は、はっと顔を上げる。ガチャガチャという重い金属音。聞き覚えのある、拍車のついたちょうの音||
 ぞわっと鳥肌が立った。
「やばい||
 音は外からこちらに向かってくる。
「戻るぞ、相棒」フォゼは腰を上げようとしたが、足に力が入らない。
 ジョージョーは、隣でへたりこんだまま、ただガチガチと歯を鳴らしている。
 重い靴音が迫ってきた。それから、こもったような息づかいが聞こえ、次の瞬間、あの忘れもしない灰色の騎士たちが姿を現した。