第38章
イーラス大佐の姿を認め、衛兵たちが敬礼の姿勢をとった。
大佐に従い、二人の将校にはさまれて、地下の
すぐ後ろにはラシルがいる。そして、彼女の弟リーは、この宮殿のどこかで、ダイヤモンドのブレスレットを守ってくれている。
たとえグルバダの
灰色の騎士の出陣のこだまが、いまだ風に運ばれてくるなか、イーラス大佐は、円柱が立ち並ぶ正面玄関の方へと進んでいった。
その正面玄関の両端では、巨大な台座の上、翼のある獣の彫像が、訪れるものを威圧するように地上を見下ろしている。
ユナたちは、北側の壁に沿って、円柱と彫像の落とす長い影のなかを歩いており、まばゆい日差しに惑わされることなく、外の様子が見えてきた。
円柱の先には広々とした半円形の空間があり、両端に軍楽隊が並んでいる。そして その向こう、宮殿前広場を埋めるように整然と待機しているのは、ルシナンとテダントンの軍服の上に、ドロテの紋章の入ったマントを
ユナは息を呑む。
消えた連合軍兵士がここにいることは、とうに見当がついていた。けれども、これほど多くの者が、家族を捨て、国を裏切り、グルバダの思想に共鳴していたとは||。
彼らの両翼はドロテ騎兵が固め、兵士たちの彼方、太陽が輝く丘の上には、灰色の軍勢が発った名残の黄色い
灰色に続いて、この大軍も発つのだ。いまごろデューやヨルセイスはどこにいるのか。彼らの運命を思い、みぞおちがきりきりと痛んだ。
お願い。来ないで……。
イーラス大佐が片手を上げ、彫像の台座の手前で止まる。円柱と彫像の陰で、広場からは見えない位置だ。ユナと両脇の兵士も立ち止まった。
軍楽隊が吹奏楽器を掲げ、壮麗な音楽がこだまする。衛兵が一斉に
宮殿の奥へと続く西の壁面。いましがた霊廟から上がって通ってきたひときわ高いアーチが見えた。軍医やラシルはすでにそちらを向いており、全員敬礼の姿勢を取る。
音楽が一段と華やかさを増し、純白の衣装を纏ったグルバダが現れた。
朝の光の中で、金色の髪とサッシュベルトが輝き、全身、ほとばしるような力強さにあふれている。金糸で縁取られた長い上衣の裾をなびかせ、威風堂々と歩いてくる指揮官の姿に、すべての目が釘付けになるのがわかった。
腰には二本の剣。一方は光の剣で、そのさざめくような波動は、離れていてもはっきりと伝わってくる。もう一方は、限りなく暗い波動を帯びていた。影の剣||。
南アルディス海を思わす真っ青な瞳が、ユナの視線をとらえる。
その瞬間、ユナは、ゆうべと同じように、目をそらすことができなくなった。世界にはユナとこの男しか存在しないかのように、まわりの光景が消える||。
一陣の風が吹き、彼女の顔をなでた。
ユナは、魔力から解き放たれたように瞬きする。グルバダが、大広間の中央を悠然と進んでゆくのが見えた。
軍楽隊の音楽が最高潮に達し、グルバダが正面玄関の中央に進み出ると、宮殿前広場を埋め尽くした騎兵たちが、馬上で一斉に敬礼をした。
グルバダが返礼する。
音楽が止んだ。
「兵士諸君!」
よく通る声が響き、宮殿前広場を波のように渡ってゆく。
「二千年の時をこえ、ついに待ち望んだときが来た。見よ! 光の剣はわが手にある!」
グルバダは銀の柄に手をかけ、一気に引き抜いた。
ダイヤモンドの刀身が朝陽に
イーラス大佐が振り返り、ユナの両脇の将校が、彼女の腕を取った。大佐が、行けというようにうなずく。
心臓が激しく打つなか、ユナは彼らにはさまれ、彫像と円柱が落とす影の中を歩き始めた。
「兵士諸君!」
グルバダの声に、広場が静まる。
「光の剣を手にすると預言された者||ルシタナの再来は、ここにいる!」
グルバダが剣を向けた
ふたたびどよめきが起こり、宮殿前広場を波のように駆け抜ける。兵士たちの瞳は異様な熱を帯び、彼らの視線が無数の矢のように突き刺さった。ユナは口を真一文字に結び、肩をそびやかす。
「もはや、恐れるものはない」
将校たちは、言葉を継ぐ指揮官の手前で止まり、ユナをひざまずかせた。
「ルシタナの再来は、ここに永遠の忠誠を誓い、未来
あたりの空気を揺るがすような歓声が上がる。ひざまずいたまま、ユナは、その熱狂の渦に耐えた。
歓声が徐々におさまり、兵士たちが期待のうちに次の言葉を待つのがわかった。
「兵士諸君!」
グルバダの声が、彼らの上に力強く響き渡る。
「今宵は夏至の前の満月。最も神聖な満月だ。イナン殿下の
勇壮な音楽が鳴り響き、兵士たちが次々と出立してゆく。ユナはグルバダのかたわらで、なすすべもなくその光景を見つめていた。
円柱の前には半円形の空間が広がり、軍楽隊がその一隅で演奏している。その先には、半円にそって波紋が広がるように、ゆったりした階段が宮殿前広場へと続いていた。
ルシナンとテダントンの騎兵は、その優雅なアプローチまで前進し、こちらを見上げて敬礼したあと、それぞれ左右に分かれ、両翼に控えるドロテ騎兵の横を通って東へと進軍してゆく。
「いまごろ、先に発った灰色の軍隊は、連合軍を迎え撃つべく、マレンの荒野で待機していよう」
彼らを見送りながら、グルバダがいった。声高ではないのに、軍楽隊の演奏と進軍の音のなか、その声は不思議とよく通った。
「そこへ、この軍勢も加勢する。わがテタイアの大地は、正午の鐘が鳴り響くより早く、連合軍の血で真っ赤に染まるであろう」
ユナは、ぎゅっと拳を握りしめる。
「ヒューディはどこ? 彼に会わせて」
グルバダは、後ろに控えているイーラス大佐の方を向いた。大佐は、南側の壁に並んだ衛兵に合図を送る。
ほどなく、翼のある彫像の横、正面玄関に最も近いアーチから、両脇を兵士にはさまれた小柄なシルエットが現れた。
ヒューディ||。
目隠しをされ、後ろ手に縛られてはいたが、しっかりと自分の足で歩いている。胸がつまった。
イーラス大佐が片手を挙げ、兵士たちは彫像の下で止まり、目隠しを外す。左目のまわりは紫の
まばゆそうに瞬きしたあと、ヒューディは瞳をぱっと見開いた。
「ユナ!」
「ヒューディ!」
「そいつのいいなりになるな!」ヒューディは身を乗り出す。
兵士が首に短剣を突きつけた。
「やめて!」ユナは悲鳴を上げる。
「ユナ! ぼくにかまうな!」
刃が肌に食い込み、血がにじむのが見えた。
「やめて! 助けるという約束よ!」
グルバダが片手を挙げる。兵士は短剣を降ろした。
「そなたが誓いを破れば、その瞬間、この若者の命は消える」
ユナは肩で息をしながら、黙ってグルバダを
騎兵たちの出陣は続いており、地響きとともに、大地を吹き渡る風が、先をゆく軍勢のこだまを運んでくる。その様子を頼もしげに見やりながら、グルバダがいった。
「イナン殿下の喪が明ける一年後の夏至には、この宮殿は完成し、老いや病、あらゆる苦痛や死の悲しみから解放された永遠の国が生まれる。わたしがそのあらたな世界に君臨するあかつきには、そなたの中に眠る記憶が、大いなるダイヤモンドの真の力を呼び覚まし、わが栄光を無限に輝かせるであろう」
ユナはさっと心の守りを固める。
「そうかまえるな」
グルバダはふっと笑い、ユナの方を向いて、ごくおだやかにいった。
「そなたはルシタナの再来。そうやすやすと記憶を手渡すとは思ってはおらぬ。されど、今日からそなたは、心臓を貫かれぬ限り不死の存在となる。ゆうべは手加減を加えたが、もはやその必要もない」
真っ青な瞳がほほえみかける。
「戴冠式は一年後だ。時間は充分にある。お互い、ゆっくりと楽しもうではないか」