ユナは寝台にもたれ、月が傾くにつれて、窓から降り注ぐその静謐せいひつな光が、部屋の中を移りゆくのを見つめていた。
　血染めのスカーフのイメージが、頭から離れない。ヒューディも、この宮殿のどこかで眠れぬ夜を過ごしているのだろうか。
　自分の不注意からあの農場で灰色に捕われたことが、かえすがえす悔やまれる。ヒューディは、あのあとすぐ追いかけてきてくれたのだ。
　ジョージョーの方は、そのまま連合軍司令部に向かったに違いない。彼が無事司令部に着いていたら、デューやヨルセイスら連合軍は、すでにこちらに向かっているのではないか。
　ただ、この宮殿は、大勢のドロテ兵と灰色に守られているだろうし、そうでなくとも、明日の儀式にはとうてい間に合わないだろう。
　それでも、泣くだけ泣いてしまうと、ユナの中には不思議な覚悟が生まれていた。
　まだすべて終わったわけではない。ダイヤモンドのブレスレットは、薬草使いの少年、リーが守ってくれている。
　ユナの耳に、晩餐ばんさんの席でのグルバダの言葉がこだました。
　｜｜そなたの魂には、フィーンのすべての記憶が眠っている｜｜
　｜｜わたしは、そなたの中に深く分け入り、そのすべてを洗い出す｜｜
　グルバダの狙いは、わたしの中に眠る記憶。フィーンのダイヤモンドにまつわる古い記憶だ。
　グルバダの青い瞳がよみがえる。世界にはふたりしか存在しないかのように、ユナを惹ひきつけた真っ青な瞳が。
　胸の奥が苦しくなる。かつてランドリア王子とダイロスは血縁だったのだ。そしてもちろん、ランドリアの娘であったわたしとも。あの瞳にわけもなく惹かれたのは、それゆえなのか？　血は水よりも濃いというけれど、そうなのだろうか？
　それでも、グルバダに永遠の忠誠を誓い、彼の僕しもべとなった自分の姿など、想像もできなかった。
　こんなとき、ルドウィンならどうするだろう。月の光を見つめながら、ユナは考えた。
　彼がヒューディを見捨てないのはわかっている。そして、自分の使命も決してあきらめないだろう。光の剣を手にして、影の力を止める｜｜レクストゥールが預言したその使命を。
　そう。彼なら、最後の最後まで運命にあらがう。たとえ、すべての希望がついえても。
 
　開いた窓から風が吹きこみ、ユナは、はっと目を開けた。
　夜明け前。夜と朝のあわい。月影は消えている。
　いつのまに眠ったのだろう。そう思ったとき、ふたたび風が吹き込み、その風に乗って角笛の音が響いてきた。長い、高らかな音。
　床から低い振動が伝わり、窓もガタガタと音を立て始める。蹄ひづめと拍車の音。馬具が触れ合う金属音。風にはためく厚いマント｜｜。
　戦慄せんりつが背筋を駆け抜けた。
　灰色の騎士だ。灰色の大軍が、宮殿の北側から出立し、大地を揺るがして東へと向かっている。並足での行軍ではない。早足で次々と駆けてゆく。
　ユナは寝台から飛び降り、窓辺に駆け寄った。部屋は南に面しており、彼らの姿が見えるはずはない。だが、じっとしてはいられなかった。背伸びをして、胸の高さほどある窓から顔をのぞかせる。
　ほのかに明るみはじめた世界。眼下にはマレンの森が広がっている。断崖のように切り立った宮殿の壁には、ところどころ優美な装飾がほどこされ、目にしたとたん、胸を突かれた。
　リーは昨夜、そのレリーフを伝って、下の部屋から登ってこようとしていたのだ。
　地響きが大きくなり、ユナはさらにつま先立って身を乗り出す。左手、朝焼けに染まりつつある東の空を背景に、小高い丘のシルエットが見えた。
　その丘のふもとから土煙が立ちのぼり、風に乗ってもうもうと流れ始める。宮殿の壁に視界をさえぎられ、軍勢の姿は見えなかったが、先頭集団が丘にさしかかったのがわかった。
　地響きが、夜明けの世界を覆おおってゆく。全身の血が凍りついた。
　デューやヨルセイスがこちらに向かっているとしたら、彼らは、この西の大地のどこかで、この圧倒的な大軍とぶつかることになるだろう。