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 ウォローさんろくにある国境の街の広場で、ひとりの小柄な少年が店を広げていた。今日は朝から暖かく、白いシャツに緑のスカーフ、緑のベストという軽装だ。
 少年の名はヒューディ。人前に立つのは得意ではなく、工房を営む両親からせんべつがわりにもらった品は、ほとんど売れていない。けれど、胸にはひとつの夢があり、旅は少しも辛くなかった。
 ヒューディは、軽くのびをして天を仰ぐ。
 生まれ故郷ウォルダナの空。流れる雲は白く輝き、音がきらきらと降ってきそうだ。
「あらまあ、素敵な織物だこと!」
 年配の女性の声が、彼を地上に引き戻す。大きな腰を振りふり歩み寄ってきたのは、どっしりとした身体つきの婦人。
「坊や」鮮やかな深紅の織物に手を伸ばして、「このスカーフ、見せてもらえるかしら?」
「どうぞ、奥さん。ルシナンでは、ちょっとしたおしゃに腰に巻いて||」彼は言葉を切る。彼女の立派な腰には倍の大きさは必要だ。
 幸い、奥さんは聞いていなかった。織物を肩にかけ、やわらかな風合いを確かめている。
「これおいくら、坊や?」
「二十ルピカです」
「二十ルピカ?」奥さんは眉をひそめ、「どう見ても十ルピカ以上には見えないわねえ」
「ご冗談を。ゆうきゅう山脈の幻のの毛で織った稀少な織物で、品質も最高です」
「それにしたって、坊や、二十ルピカは高すぎますよ」
「じゃあ||十八ルピカでは?」
「十八ルピカねえ。それでもまだうんと高いわねえ」
「十七ルピカで精いっぱいです」
「十七ルピカ? そんな値段で買おうものなら、坊や、死んだ主人が墓穴からよみがえって、ひきつけを起こしますよ」
 彼らがそんな交渉をしているあいだに、ひとりの若者が広場を横切って走ってきた。後ろを振り返り、息を切らして駆けてくると、ふたりの横をすり抜けようとしてヒューディを突き飛ばし、そこにあった麻袋につまづいて、つんのめるように転がった。
「ちょっと!」奥さんが抗議の声を上げる。
「すみません」若者はびをいって立ち上がり、ヒューディを助け起した。「は?」
「だいじょうぶです」
「すまなかった」若者は、麻袋から飛び出した上衣を拾って土ぼこりを払い、「ルシナンからきたんだね? これから都へ?」
「いえ、クレナに行くところです」
 若者は上衣を麻袋に戻し、彼になにかいいかけたが、急にはっと来し方を振り返ると、あっというまに路地に消えた。
「まったくいまどきの若い者ときたら」奥さんはぶつぶついう。「ところで坊や、クレナに行くんですって? うちの宿はすぐそこだし、ちょうどひと部屋空いていますよ」
「ありがとうございます。せっかくですけど、先を急ぐので」
「あら、残念。ほんとせっかくなのに。それで坊や、十五ルピカだったわね?」
 そのときだった。しっこくの馬が二頭、広場に姿を現した。灰色のマントに灰色のフードを目深にかぶった騎士たちが乗っており、乱暴に馬を止めて、ぐるりとあたりを見まわす。
 ヒューディの瞳は、彼らに釘づけになった。
 なぜだろう。胸の奥がひどくざわめく。あたかも、ずっと忘れていた暗い記憶がよみがえってくるかのように。心は見るなとささやくのに、あらがいがたい力にとらえられ、目をそらすことができない。
 騎士たちが彼の視線に気づき、馬首をさっとこちらに向ける。フードの奥からでも、目と目が合ったのがわかった。ヒューディは、全身冷気におおわれたように凍りつく。
 二騎は、まっすぐ駆けてきた。厚いマントが風にはためき、重い馬具がガチャガチャと音を立てる。
 漆黒の馬が目の前で止まり、土埃が舞い上がった。こもったような息づかいが聞こえ、先頭の騎士が、フードの奥から低いしゃがれた声でいう。
「男を見なかったか?」
 ヒューディの頭の中で、その声が幾重にもこだまする。しかし、身体は呪縛を受けたように、まったく動かない。そのとき、隣から別の声が聞こえた。
「見ましたよ」
 そのとたん、身体の自由が戻った。隣を見ると、奥さんが立派な腰に両手をあて、憤然と騎士を見あげていた。
「どこへ行った?」
 騎士の問いに、奥さんは片手でまっすぐ路地を指す。彼らは無言で駆け去った。
 ヒューディは奥さんを見る。
「違う道を教えましたね?」
「そうだったかしら」奥さんは涼しい顔でいった。「まったくいやな感じの男たちですよ。それで坊や、十四ルピカだったわね?」