第20章 前半へ12第20章 後半へ

 道は、ゆるい下り坂になっていた。
 ダイヤモンドのブレスレットを通して、左手から心臓に伝わるエネルギーが、次第に強くなってくる。
「近づいているみたい」ユナは足を止めた。「ここになにかあるわ」
 ルドウィンは松明をかざして岩壁を調べる。なかば岩に埋もれた、黒い鉄のとっが見つかった。
 ルドウィンは把手を持って、手前に引いた。岩はびくともしない。向こうに押してみても、やはり動かなかった。
「ルド。もしかして……」ユナはいい、彼の手に自分の手を重ねて、体重をかける。
 微かな手応えがあった。ルドウィンは口笛を吹く。
 息を合わせて押し下げると、岩の扉はゴーッと音を立てながら地面に呑みこまれ、狭い通路があらわれた。通路のむこうからは、やわらかな金色の光が射している。
 ふたりは、用心しながら、光の方へと一歩一歩進んでいった。ユナの心臓は、いまにも飛び出しそうなほど、どきどきと大きな音を立てて打っている。通路はゆるやかに曲がっていた。そこを曲がりきると、奥行きのある空間に、豪華な装飾がほどこされた黄金の箱が並んでいるのが見えた。 
 箱は、手前と奥にひとつずつ置かれ、闇の中で、呼吸しているかのように輝いている。金色の光は、そこから来ているのだった。
 剣の間||
 ふたりは足を止め、視線を交わす。それから、息をつめて、部屋の前まで進んだ。ルドウィンは、松明を入口にたてかけ、自分が先に行くと目で伝えてきた。ユナはうなずく。
 ルドウィンは剣を抜き、壁を背に、音もなくすべりこんだ。あたりに目を走らせ、ふたたび目で合図をよこす。ユナも、そっとすべり込んだ。
 岩の壁に囲まれた部屋は、円形で、天井が高く、黄金の箱は、その中央に整然と並んでいた。大きなひつぎほどもあり、息づくように光を放つなか、あたりにはちりひとつない。二千年の歳月は、あたかも、この部屋を素通りしていったかのようだった。
 ユナは息を呑み、ルドウィンとともに、箱に歩み寄る。
 そのとき、低い音が響いた。
 奥の壁が、裂けるように大きく開く。隠し扉||。そう気づくより早く、死の従者が躍りでた。
「さがってろ!」ルドウィンは叫び、前に飛びだす。
 ユナは凍りつく。相手は二人。
 二対一の激しい戦いが始まった。重々しいよろいの音は、ユナの記憶の奥の恐怖心を、呼び覚まさんとばかりに、揺さぶりをかけてくる。
 重く厚い鎧をまとっているのに、従者たちの動きは、驚くほど機敏だった。けれども、ルドウィンは野生動物のようにしなやかに身をかわし、ついにその剣が片方の厚い鎧を貫いた。従者は鈍い音を響かせ、ガシャリとひざをつく。それから、前のめりにどっと床に倒れた。
 残った従者が、怒り狂ったようにルドウィンに飛びかかる。
 すさまじい応酬おうしゅうが続いたあと、従者は、たけびとともに、ルドウィンをはね飛ばした。ルドウィンは壁に叩きつけられ、そのまま地面にくずおれる。
 ユナは、とっさに松明を手にとった。夢中で飛びだし、ルドウィンに襲いかかろうとした従者の仮面に、燃える炎を押しつける。
 従者はうなり声を上げて一歩たじろぎ、ユナは従者の勢いを腕に受け、仰向けにはじき飛ばされる。
 なにもかもが、ゆっくりと動いた。地面が近づいてくるのを感じながら、ユナは、ルドウィンが起き上がるのを目の端でとらえる。それから、剣をふりあげる従者の姿を||
 その直後、後頭部に衝撃が走り、なにもわからなくなった。
 
 はっと意識を取り戻し、ユナが身体を起こしたときには、ルドウィンの剣が従者の厚い鎧を貫いていた。
 ルドウィンが剣を抜くと、従者の身体は、一瞬その場にとどまったあと、ぐらりとかしいで横ざまに倒れた。衝撃で地面が揺れる。
「ルド!」ユナは駆け寄った。
 ルドウィンは、ふるえるユナを抱きしめる。
「ありがとう、おちびちゃん」
 それから、彼女を離し、岩陰や天井を確かめた。ユナも、すべての方向に耳を澄ます。
 あたりに敵の気配はなく、通路からも、物音ひとつ聞こえない。ふたりは、ようやく小さく息をついた。
 だが、最後まで油断はできない。ユナは、全身の神経を張りつめながら、巨大な黄金の箱にゆっくりと近づき、ルドウィンも、剣を構えたまま、かたわらにぴたりとつける。
 片方は間違いなくわなだ。開けたとたんに、毒矢が飛び出すか、刃物が首をき切るか。
 ユナは、手前の箱の前で止まった。
 左手首から腕を通して、光の波が力強く心臓へと流れ込むのが感じられる。目を落とすと、袖の布地を透かして、ダイヤモンドが淡い光を放っており、かすかな音が聞こえた気がした。ユナは思わず、袖口のボタンを外す。三粒のダイヤモンドが、きらきらと青い光を放ち、繊細せんさいな調べが泉のようにこぼれ落ちた。
「聞こえる?」手首を持ち上げ、ユナはささやく。
「ああ。聞こえる」
 どこか遠い星から聞こえてくるような神秘的な音楽。美しく、もの悲しいその調べは、いつかヨルセイスが、南アルディス海を望む丘で聞かせてくれた調べだった。
 奥の箱の前に立つと、音楽は消えた。
「これが正しい箱なのね」ユナは手前の箱の前に戻って身をかがめる。そして、そのふたの中央に鍵穴があることに気がついた。「そんな||鍵が必要なの?」
 ルドウィンは片ひざをついて、鍵穴を確かめる。
「みせかけの鍵穴かもしれない。きみがふれれば、開くんじゃないかな」ルドウィンはいう。「手伝うよ。やってみよう」
 彼は剣を置き、ユナと並んで、一緒に持ち上げようとしたが、蓋はぴたりと閉ざしたまま、まったく動かない。ユナは、眉をひそめてつぶやいた。
「もし鍵が必要なら、ルシタナはいい残したはず……」
 彼女の左手首では、三粒のダイヤモンドが、先ほどよりもいっそう強く青く輝き、美しい音色を奏でている。遠い昔その一部であった大いなるダイヤモンドと、ふたたびひとつになりたいと願っているかのように。
「もしかして……」ユナはささやき、左手首を鍵穴に近づけた。
 ダイヤモンドのひと粒が、鍵穴にふれる。そのとたん、鍵穴から真っ白な光が射した。
 息を呑むふたりの前で、巨大な黄金の蓋が、音もなくゆっくりと開く。
 ダイロスの剣は、瀟洒しょうしゃな銀のさやにおさまり、深い色のベルベットの上に、ひっそりとその身を横たえていた。
 
 ルドウィンは、ユナが剣を手に取るのを見守った。
 ユナはふるえる手で柄にふれ、剣を持ち上げる。その冷たさと、ずっしりとした重みとが、ルドウィンにまで、ありありと伝わってきた。
 ユナがゆっくりと鞘から剣を引き抜くと、まばゆいばかりに燦然さんぜんと輝くダイヤモンドの刀身とうしんが姿をあらわした。
 遙か昔に失われた大いなるダイヤモンド。二千年ものあいだ、誰の目にふれることなく眠っていたフィーンの至宝||
 その輝きに魅せられ、ルドウィンは、息をするのも忘れた。ユナもまた、茫然として、ダイヤモンドの刀身を見つめている。
 ルドウィンは、はっと我に返った。こうしてはいられない。敵に知られる前に、早く立ち去らなければ。
「ユナ」
 ルドウィンの声に、ユナは、夢から覚めたかのようにまばたきをした。それから、急いで剣を鞘におさめ、身につけていた剣帯けんたいにしっかりとさす。
「行こう」ルドウィンがユナの肩に手をかけ、立ち去ろうとしたとき、背後で微かな気配がした。
 ふたりは、同時に振り返る。
 奥の箱の蓋が、わずかにきしみながら開き、何者かに操られるように、死の従者が身体を起こした。その大きさは、これまでの従者の比ではない。
 ユナは息を呑み、ルドウィンは、とっさに彼女の前に立った。
 そのときだった。突如、雷に打たれたように、すべての記憶がよみがえった。
 二千年前、ここで起こったことのすべてが。封じ込めていた思いのすべてが。恐怖、痛み、悲しみのすべてをこえて深く魂に刻み込んだ記憶||自分自身に固く誓った約束が、一瞬のうちに、あざやかに。
「ユナ」従者に目をえたまま、ルドウィンはささやく。「走れ」
 遠いあの日、彼はこの戦いを落とした。そしてそれゆえ、ルシタナはあとを追ってきた従者に命を奪われた。
 今回は、落とすわけにはいかない。必ず、仕留める。そして、彼女を守る。今度こそ、彼女が使命を果たし、預言が成就じょうじゅされるように。そのためにこそ、彼はきたのだ。幼いころからあらゆる武術を磨いてきたのは、まさにこのときのためだったのだ。
 二千年前、彼は恐怖心から、この戦いを落とした。死の従者に対する怖れではなく、愛する者を失う怖れから。かけがえのない者が死ぬかもしれないという恐怖が、鎧の強い魔力を生みだし、彼は従者を打ち負かすことができなかった。
 それゆえずっと||生まれる前からずっと、深く胸に刻んできたのだ。彼女を愛してはならないと。彼女を守るために、敢えて気持ちを封印しなければならないと。
 結局、そんなことは不可能だったけれど、それでも、その強い思いは、彼をここまで支えてきた。ならば、預言を成就させることはできるはずだ。
「ユナ! 逃げろ!」もう一度、鋭くささやく。
 ユナが躊躇ちゅうちょした瞬間、死の従者が剣を抜き、電光石火の勢いで飛びだしてきた。ひらめくその刃をルドウィンの剣が受け止める。すさまじい衝撃。青い火花がぱっと散る。
 そのとき、ゴーッと不気味な音が鳴り響いた。一瞬、従者の注意がれ、ルドウィンは相手の剣を振りはらう。
 天井からバラバラと土砂が降ってきた。従者がふたたび襲いかかってくる。
「ユナ!」容赦ない攻撃をかわしながら、ルドウィンは叫ぶ。「使命を忘れたのか?」
 落ちてくる土砂が大粒になり、激しい音を立て始める。
「逃げろ!」
 ユナは、背を向けて走りだした。
 
 土砂が降りそそぐ闇のなか、ユナは走った。光を目指し、無我夢中で。
 前方に明かりが見えてくる。あと少しだ。
「ユナ! ルド!」
 ヒューディの呼び声が聞こえ、ユナは日の光のもとに飛びだした。
「ルドは?」ヒューディが聞く。
 ユナはかぶりを振った。ヒューディが洞窟に飛び込もうとした瞬間、大音響とともに入り口が消えた。もうもうと砂埃を立てて、あとかたもなく。
 不気味な地鳴りがとどろく。いまや、山全体が崩れようとしているかのようだった。
「行こう!」ヒューディが叫ぶ。
 ふたりが走るあとから、谷底に呑みこまれるように地面が崩れてゆき、岩棚の上からは滝のように石が降りそそいでくる。
 ジョージョーは、その恐ろしい光景のただなかで、興奮する馬たちをなだめながら辛抱強く待っていた。
 馬に飛び乗ると、三人は全速力で駆けだした。
 
 エレドゥ峡谷を抜け、マレンの荒野に入ったところで、彼らはようやく速度をゆるめた。小さな流れのほとりで、誰からともなく止まり、地面に降り立つ。
 ほかの馬たちが水辺で喉をうるおすなか、アリドリアスはその場にたたずみ、うるんだ大きな瞳で、来し方を見つめた。
「アリドリアス……」ヒューディはささやき、その首筋をなでる。
「山が揺れ始めたとき、すごく切なそうにいなないたんだ」ジョージョーが目を真っ赤にしていった。「なにかあったのかなって不安になった。アリドリアスはどんなときも、決して騒がなかったから」
 ヒューディの手が止まる。その顔がゆがみ、榛色の瞳に涙がきらめいた。ユナは歩み寄り、彼の手をとる。
「ユナ……」ヒューディはかすれた声でいった。「ぼくには、信じられない……」
 ユナも同じ気持ちだった。
 ルドウィンは、魂は永遠だといったけれど、そんなことは、少しもなぐさめにはならなかった。目の前に彼の姿を見て、耳もとで彼の声を聞きたかった。だいじょうぶだよと、強く抱きしめてほしかった。
 ルシタナに恋人がいたことを、なぜエレタナがいわなかったのか、ルドウィンがなぜ、なにも話そうとしなかったのか、いまならわかる。
 二千年前も、彼は、あの洞窟で命を落としたのだ。死の従者から、彼女を守るために……。
「ヒューディ……」ユナはささやき、ヒューディの身体に両腕を回す。
 ヒューディは、ふるえながら、彼女を抱きしめた。彼のほおを伝う涙が、ユナのほおを濡らしてゆく。
 けれども、悲しみはあまりに深く、ユナは泣くことすらできなかった。
 オレンジ色に染まる空が、まぶしいほどに輝く夕暮れ。砂漠の砂を運ぶ遠い風の音が、テタイアの地に夏の訪れを告げていた。
 
 
          第Ⅱ部 終わり