第Ⅲ部 光と影を制する者

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 闇のなか、六角すいの大きな石が円形の台座に載っている。美しい透明な石で、呼吸するかのように、青い光を放っている。
 フィーンの至宝。大いなるダイヤモンド||
 ユナは静かにそれを見つめていた。
 ダイヤモンドは、原初の光を秘めていた。愛と祈りとすべての始まりであった聖なる光を。それは、すべての善きものであり、美しきものであった。
 その清らかな波動のなか、愛おしさとなつかしさがユナを満たす。
 その調和を、なにかが乱した。
 ユナははっとする。いつしか、ダイヤモンドのかたわらに、黒いローブをまとった長身の男が立っていた。男は片手に、鋭利な銀色の石を握っている。
 待って||! ユナはなにが起こるかを察し、とっさに止めようとした。だが、止めることができなかった。彼女には、身体がなかったから……。
 男の手が高々とかかげられ、低い声があたりに響き渡った。
 
 われは
 漆黒しっこくの闇をつかさどり
 影と光を分かつ者。
 はるかな国から降りし
 サラファーンの星よ
 いまこそ
 天と地と精霊の光を従え
 われに仕えよ!
 
銀色の石の先端が、一気に振りおろされる。
ダイヤモンドから、悲鳴のような恐ろしい音が発せられ、まばゆいばかりの閃光が放たれた||
 
 ユナは跳ね起きた。心臓が早鐘のように打っている。
 夢||
 ダイヤモンドの断末だんまつの叫び声。まばゆいばかりの閃光せんこう||。生々しい感覚に、ユナは身をふるわせる。全身、汗びっしょりだった。左手首では、ブレスレットにはめたダイヤモンドが、痛いほどさざめいている。
 ユナは大きく息をつき、汗をぬぐって顔を上げた。木々のこずえのあいだから、またたく星々が見える。
「ユナ……」すぐそばで声がした。
 彼女はそちらを向く。
 ヒューディがひざを抱え、心配そうに彼女を見ていた。その向こうでは、ジョージョーがかすかな寝息を立てている。
「だいじょうぶか?」
 ユナはうなずいた。
「夢を見てた」
「そうか」ヒューディはいう。どんな夢か聞こうかとためらって、やめたのがわかった。ルドウィンの夢だと思ったのだろう。
 ヒューディは黙って手を伸ばし、ユナの片手に重ねた。彼のぬくもりが、手の甲から伝わってくる。
「大いなるダイヤモンドの夢だった||剣として切りだされる前の」ユナはそっといい、腰に目を落とした。
 いま、ダイヤモンドの剣は、剣帯にしっかりと留め、幾重にも重なったテタイア式の衣装の内側に隠してある。今度こそ、フィーンのもとに還さなければ。戦争はすでに、故郷のウォルダナをも巻き込んでいる。止めるには、そうするしかない。
 けれど、自分にできるのだろうか。この先、この異国の地で旅を続け、連合軍司令部で待つエレタナに、無事届けることができるのだろうか……。
「ヒューディ」ユナはささやく。「わたし、不安でならない」
「ユナ」ヒューディは、重ねた手をぎゅっと握った。「剣は手に入れたんだ」
「二千年前もそうだった。でも||
「奴らはもう奪い返しにこないよ。ルドが絶対に仕留めてる」星明かりを帯びたはしばみ色の瞳が、まっすぐにユナを見た。
 ユナは黙ってうなずく。
「それに、今度はエルディラーヌまで行かなくていいんだ。おまけに||」榛色の瞳に、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。「ジョージョーとぼくがついてる」
「そうね」ユナは笑う。
 ヒューディは握っていた手を離すと、しっかりと彼女を抱き寄せた。
「だいじょうぶ。きっと、なにもかもうまくいくよ」
 
 翌朝、彼らは夜明けと同時に出発した。エレタナが内密に指示したルートに従って、低い山並みを縫うように連合軍司令部へと急ぐ。
 午後になったとたん、強い西風が吹き始め、青空はみるみる色を失った。細かい砂を乗せた風は、地上を行くユナたちにも容赦なく吹きつける。三人は頭からすっぽりとストールを纏い、鼻と口をしっかりと覆った。
 ヒューディは乗ってきた馬を替え馬にして、アリドリアスを供としていた。誰にでもなつく馬ではなかったが、ヒューディとユナには心を許していたし、馬をこよなく愛する彼は、主を失ったその馬が、人の温もりを恋しがっているのを感じたのだろう。
「なあ、アリドリアス」彼は、金色のたてがみをなでながらいった。「おまえも一応、王室の一員だろ? ウォルダナに帰ったら、国籍のこと、カルザス王に頼んでくれよな」
 ユナは、病床の王を思い、胸を痛めた。ルドウィンのことを知ったら、どれほど悲嘆に暮れるだろう。それとも、王はとうに覚悟を決めていたのだろうか。
 そのカルザス王は、力強い瞳でユナに助言をあたえてくれた。真実を求めれば、必ず神はそばにいると。
 ||そなたはウォルダナの宝だ||
 その忘れがたい言葉は、いまなお、ユナの胸を熱く満たす。その王の信頼を裏切ってはならない。最後まで、使命をまっとうしなくては。そう。ルドウィンに応えるためにも。そして、フォゼに応えるためにも。
 
 風は深夜に弱まり、翌朝には微風になったが、遠い砂漠から運ばれてきた砂の名残で、空は黄色くかすんでおり、木々もあきらめ顔で砂ぼこりをまとっていた。太陽が高くなると、霞んだ大気を通しても、陽ざしは思いのほか強く、荒れた山肌をゆく旅人たちを、げつかさんばかりに照りつけてくる。
「そろそろ、山あいの村に着いていいころじゃないか?」ヒューディが、汗をぬぐいながらいった。
「そうね」ユナはうなずく。「お昼はそこで食べる? それとも、お腹空いたなら、このへんで休もうか?」
「いや、そういう意味じゃなくて||」彼は言葉を切る。「方角、あってるのかな? 村とか全然なさそうだけど」
「でも、地図の通りに来たはずよ」そうこたえたとき、遠い風の音にまじってかす微かな音が聞こえた。ユナはローレアを止め、耳を澄ます。「なにか聞こえる」
「ほんと?」ヒューディも止まった。やがて、かぶりを振り、「聞こえないな」
「俺も」後ろでジョージョーがいう。
「ほんの一瞬だったの」とユナ。「ひづめの音みたいだった。この尾根の向こうからじゃないかな。きっと村があるのよ」
「きみの耳を信用するよ」ヒューディはいい、ジョージョーもうなずく。
 そして三人は、炎天下のもと、ふたたび汗を流しながら、灌木かんぼくの茂る斜面を登っていった。
 
 ユナがいった通り、尾根を越えたとたん、眼下に、古い石造りの建物が立ち並ぶ光景が広がった。
 ヒューディが口笛を吹く。ユナは彼を見てにっこりした。
「きっと、井戸かき水があるわ。それに、おいしいお昼もね」
 彼らは気分も軽く、下り斜面を降りていった。
 ところが、ユナは次第に奇妙な違和感を覚え始めた。高い塔や工房のような建物がいくつも並び、街といってもいいほどなのに、少しも喧噪けんそうが感じられない。
「やけに閑散としてるな」村の名が刻まれたアーチにさしかかったところで、ヒューディがいった。
 互いに顔を見合わせながら、アーチを抜けて、石だたみの通りに入る。通りはひどく静まりかえっていた。砂を含んだ風がひゅうひゅうと吹きすぎるなか、自分たちの馬の蹄の音が、やけに大きく響くばかりだ。
「人っ子ひとりいないわね」ユナは眉をひそめる。
「まあ、この暑さだ。誰も出歩きたくないさ」ヒューディはこたえたものの、それほど確信のある声ではなかった。
「物音ひとつ、聞こえないよ」ジョージョーは、おどおどとあたりを見まわす。
「昼寝をする習慣でもあるのかな」とヒューディ。「テタイアにはそういう地方があるって、どっかで聞いたような気がする」
「まだ昼前なのに?」とジョージョー。「なんだか嫌な感じだな。背中に毛虫を入れられたみたいに、ぞわぞわしてきた」
「わたしも落ち着かないわ」ユナもいう。「なんていうか、この村、わたしたちを嫌ってるみたい」
「村がぼくらを? どういうことさ?」
 ヒューディがそういったとたん、店の看板が風にあおられ、大きな音を立てて、彼の目の前に落ちてきた。
「こういうことか……」
「待って」ユナはささやく。彼女は弓を背にしていたが、そのうなじから背中にかけて、刺すような視線を感じたのだ。
 誰かが見ている。
 ユナはさっと振り向いた。そのせつ、まばゆく照り返す道の向こうで人影が動いた気がした。だが、目を凝らしたときには、人影は消えていた。
「どうかした?」とヒューディ。
 ユナはうなずく。
「誰かがいたような気がしたの」
 ヒューディは目を細め、ユナの視線をたどった。
「誰も見えないな」
「俺、陽ざしで目がチカチカして黒い点々がいっぱい見える」とジョージョー。
「どこかで休もうか」ユナはいう。
「そうだな」ヒューディはうなずいた。「ちょっと過激な呼び込みだったけど、この店はどう?」