光の剣を探す方法や手がかりについては、トリユース将軍は、エレタナから助言を聞くよういっただけだった。
「ユリディケ。あとは、エレタナ王女がそなたに助言をあたえるであろう」
 ドロテの軍勢が発掘を行っている遺跡に潜り込むなど、それこそ自殺行為だ。ルドウィンもどうかしている。そんな旅にヒューディを連れて行くなんて。昨日、あれほどぴしゃりとねつけたのに。
 ユナは重い気持ちで、エレタナとともに、彼女の部屋に入った。
 エレタナはユナに長椅子をすすめ、澄んだ液体の入った小さなグラスをさしだした。光を帯びたようなその液体には、見覚えがあった。深夜の平原で灰色たちに襲われたとき、助けにきたデューが、ルドウィンの口に含ませた秘薬だ。
「リュールよ。エルディラーヌに咲くレフィーレという花の蜜から作ったものなの」
 ユナは、その金色にきらめく飲み物をひとくち飲んでみる。えもいわれぬ芳香がふわっと広がり、喉の渇きがうそのように消えていった。
「レフィーレの蜜は命の源に働きかけて、ほんの一滴で一日歩くことができるし、心を静めてくれる。旅に持っていくよう、ルドウィンにも渡してあるわ」
 にっこりしたあと、彼女は切り出す。
「伝説にいわれているように、ダイロスは、光の剣を隠すために、石窟の宮殿に迷路のような洞窟を掘らせたの。洞窟の入口は、迷宮の中でも特にわかりにくいところにあって、光の剣は、さらにその奥深くにある剣の間に眠っているといわれているわ」
「とても望みが薄いということね」ユナはため息をついた。
「いいえ、ユナ。剣の間に通じる道は、ひとつではないの。迷宮の地下には、太古の昔からある壮大な洞窟が広がっていて、遥かエレドゥ峡谷きょうこくまで延びている。剣の間は、そのエレドゥ峡谷にあるのよ」
 ユナは驚いてエレタナを見る。
「なぜ、そんなことを知っているの?」
「なぜなら」深い紫の瞳が、静かに見つめ返した。「あなたがそういいのこしたから」
「わたしが||?」
 伝説によれば、ルシタナは光の剣を見つけたあと、あとを追ってきた死の従者に殺された。命尽きる前に、そのことを誰かにことづけたのだろうか?
 不意に、胸が苦しくなる。暗い思いが心を覆い、荒れ狂う空が見えた。黄色を帯びた不気味な空だ。まばゆい閃光せんこうが、その空を縦横じゅうおうに切り裂く。ごうごうと風がうなり、ひづめの音が迫ってくる。それから、重い金属音と、くぐもったような息づかいが||
「ユナ」
 その声に、はっと我に返った。エレタナが手のひらをさしだしている。
 その手の中で、なにかがきらっと光った。ユナは瞬きする。美しくカットされた透明な石が、繊細せんさいな銀の鎖に連なっていた。全部で三つ。大粒で青みがかっている。
「大いなるダイヤモンドのかけらで作られたブレスレットよ」エレタナがささやいた。
 ユナは魅せられたようにブレスレットを見つめる。窓から入る陽光を受け、ダイヤモンドが、一瞬、神秘的な虹色にきらめいた。
 エレタナは、ユナの左手をとって、ブレスレットをはめる。手首から腕を通して、心臓までまっすぐに、衝撃が走った。あたかも、さざめく光の風のように。
「それが大いなるダイヤモンドの力よ。生の輝きにあふれているの。あなたは||ルシタナは、このブレスレットを身につけて旅立ったの」
 ユナは黙ったまま、その澄んだ輝きを見つめた。言葉にできない思いが胸にあふれる。二千年前の自分が、未来の自分に残した遺言と、形見のブレスレット……。
「このダイヤモンドは、人知れずダイロスから守られてきたの。そして、ひとりの若者が、長い旅路の末にルシタナに届けたのよ」
 ひとりの若者が、長い旅路の末に……。
 一瞬、ダイヤモンドの青みの中に、誰かの瞳のゆらめきが見えた気がした。あるいは、それは、とらえどころのない光の反射が織りなした幻影だったのだろうか。
「エレドゥ峡谷に入ったら、自分の感覚を信じて進んで。ブレスレットが導いてくれるわ」
「わかった」うなずいて、眉をひそめる。「でも||どうしてダイロスは、エレドゥ峡谷のことを、灰色の騎士の誰かに伝えておかなかったのかしら」
「ダイロスは、死ぬつもりなどなかったのよ。彼は永遠に生きるつもりだった。それに、大いなるダイヤモンドがどれほどの力を持つかよく知っていた。だから、自分以外の誰にもふれさせないよう、最も忠実な九人の臣下に守らせたのだと思うわ」
 最も忠実な九人の臣下。
「決して貫くことができないよろいまとった死の従者ね……」
「ええ」エレタナはうなずいた。「でも、鎧の魔力を解く方法があるの。魔力は、こちらの恐怖心が生みだしているのよ。怖れなければ、従者の鎧はなんの力も持たない。ルシタナはそれを知っていたの。怖れを手放せば、魔力は解ける。恐いと思うのは当たり前よ。そこから心を静めて、やるべきことに集中して、怖れを意識から切り離すの」
 怖れを意識から切り離す||。そんなことができるのだろうか? 彼らのことを考えただけで、身体中の血が凍りそうだというのに。
「だいじょうぶよ、ユナ。かつてあなたは、そうしたのですもの」
「わたしはルシタナとは違う。それに、そのときだって||」ふたたび心に影がさす。
 荒れ狂う空。まばゆい閃光。迫り来る蹄の音||
「ユナ」エレタナがいった。「あなたは光の剣を手にして、エレドゥ峡谷を脱したのよ。あのとき、世の中の流れは、なにもかもあなたへの逆風になっていた。そんな状況の中で、あなたは、最後まで最善を尽くした。ほかの誰にもできないほどに」
 その声に、デューの声が重なる。
 ||かつて、きみは最善を尽くしたんだ。ずっとそう信じていたけど、きみを見て、その確信を深めたよ||
「いつの日か、すべてを話しましょう。ブレスレットのことも、それをあなたに届けた若者のことも、なにもかも。でも、いまは、エレドゥ峡谷に行って剣を探すことだけに集中してほしいの。鎧の魔力を解く方法は、ルドウィンも知っているわ。ゆうべゆっくり話をしたから」エレタナはほほえんだ。「彼を信じて。そして、自分自身を」
 ユナはうなずく。
「ユナ。彼にはそのとき伝えたけれど、あなたを探すために彼に水晶を渡すよういったのは、レクストゥールだったの。エレドゥ峡谷への度はごく少人数でと忠告したのも」
「レクストゥール? ||預言者の?」
「ええ」
「彼女は、どうしてこの館に来なかったの?」
「それはかなわなかったの。ずっと前、誰にも行く先を告げずに姿を消していたから」
「そんな||。ひとの運命を決めておいて、雲隠れしてしまうなんて」
「彼女が運命を決めたわけではないのよ。預言者は、神の言葉を預かるの。そして時おり、未来を垣間見る……」
 エレタナは、窓から木々のこずえを見やる。紫の瞳に、遠い表情が浮かんだ。
「あのときも、ランドリアとわたしの未来が見えていたのかも……」エレタナはささやき、ユナはその横顔を見つめる。
 二千年前、エルディラーヌの大会議を前に、王宮で催された晩餐ばんさん会で、ランドリアとエレタナは出逢った。人間の王子とフィーンの王女との許されぬ恋。子どものころ、伯母がよく話してくれた伝説。水車小屋のセイルが好きだった、遙かなる恋物語。
「初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「ええ。昨日のことのように」窓の外を見つめたまま、エレタナはうなずく。「ランドリアは十七、わたしは十六歳だった」
 十七と十六……。フィーンの王宮で出逢ったふたりの姿が見えるような気がした。
「勇気があったのね。人間の王子と駆け落ちするなんて」
 エレタナは笑った。
「勇気があったわけじゃないわ。ただ、あの人のいない世界は考えられなかった」
「人の世界に渡って、後悔したことは?」
「一度も」エレタナはかぶりを振った。「わたしたちは幸せだった。素晴らしい娘も授かって、あの人と生きた時間は、かけがえのないひとときだったわ」
 わたしたち||。なんて素敵な言葉だろう。ふたりのあいだの揺るがぬきずなと信頼がひしひしと伝わってくる。二千年の歳月が流れても、そんなふうにいいきれるなんて……。
 デューの面影が浮かび、思わず切なくなる。デューはいつだってやさしい。けど、それだけ。そっと吐息を漏らしたあと、ユナは聞いた。
「ランドリア王子はどんなひとだった?」
「あのひとは、情熱的で、強い信念を持っていたわ。そして、どんなときも、決してあきらめなかった。ルシタナは、その精神を受け継いだの。その血は、時をこえて、あなたにも流れている」エレタナはユナを見つめた。「ユナ。あなたなら、きっとやり遂げるわ」