14

「力を抜いて、左肩を落として。そのまま、弦をゆっくりあごの横まで引いてごらん」
 陽がさんさんと降りそそぐ裏庭。白樺に囲まれた緑の芝生の向こうには、小さな果樹園があり、りんの木がうすくれないれんなつぼみをつけている。
「じっくり狙って。よし、放して!」
 ユナの放った矢は的を大きくはずれ、白樺の木立へと飛んでいった。今回った七本のうち、的に乗った矢は三本。肩や腕や指のあちこちが痛み、気持ちも落ち込んでくる。
「少し休もうか」デューがいった。
 彼は毎回、矢探しを手伝ってくれて、いとも簡単に見つけだす。飛ぶときに見ているからというけれど、ユナには魔法のようだ。矢を集めて戻りながら、彼女はため息をつく。
「わたし、才能ないみたい」
「今朝始めたばかりなんだ。それにしてはいい射形しゃけいをしているし、勘もいいよ。普通は最初から離れた的は射たせない。ありえない方向に飛んでいくからね。この前教えた少年には、もう少しで殺されるところだった」
 ユナは笑い、ふたりは芝生の上に腰をおろす。空にはやわらかな雲が浮かび、林檎のそのを渡る風が、やさしい香りを運んでくる。
 デューは目を閉じ、太陽に顔を向けた。ユナはその端正な横顔を見つめる。それから、ためらいがちに呼びかけた。
「デュー……」ためらいがちに呼びかけると、デューは彼女の方を見た。「わたし、まだ半分信じられないの。自分が伝説の人物の生まれかわりだなんて」
「エレタナを見たとき、きみは、なにかを感じたんじゃないの?」
 ユナは目をふせた。
「ええ||でも、こうしていると、わからなくなる。目に見える証拠はなにもないし」
「そうだね、ユナ」彼はいう。「だけど、目に見えるものしかなかったら、この世はずいぶん、無味乾燥なところになるんじゃないかな。やさしさや、愛や勇気というものだって、目には見えないよね? 弓のコツも、同じように考えてごらん」
「どういうこと?」
「エネルギーを流すんだ。きみの中の光を」
「わたしの中の光?」
「そう。すべてのものに宿っていて、世界を創造している聖なる光。大いなる宇宙のみなもとにつながる光だ」デューは彼女の瞳を見つめる。「人間の意志の力は、きみが思っているよりずっと大きいんだよ。ユナ、きみはもっと自分を信じていいんだ」
 ふたりは立ち上がり、練習に戻った。
「いいかい? 意識をじっと集中して。的と自分との距離が感じられなくなるはずだ」
 ユナはゆっくりと弓を起こした。弦を引き、遠くの的に集中する。エネルギーが光となり、腕から弓に伝わってゆくような気がした。ユナは感じたままの光を流し続ける。
 突然、的が大きくなった。的と彼女を隔てていた空間が消える。ユナは無意識のうちに矢を放っていた。銀の矢は、的に吸いこまれるように飛んでゆき、その中心を射止める。
「ユナ! 素晴らしいよ!」
「デュー!」ユナは顔を輝かせてデューを見た。「わたし、本当に光を感じた! 光がわたしの中を流れるのを」
 
 ルドウィンは、ほのかなあたたかさを感じた。あたりには、薬草の香りがただよっている。なんともひどい匂いだ。
 彼は目をあける。見知らぬ部屋だった。目の前の椅子には、ほのかな光をまとったような美しい女性がすわり、静かにこちらを見つめている。
「ここは?」彼は眉をひそめた。
「セティ・ロルダの館です」心の奥に響く、やわらかな声。
 いつかどこかでこんな声を聞かなかったろうか? ルドウィンは遠い記憶をたどるように目を細める。だが、なにもかもがぼんやりとしておぼつかない。彼は、彼女の波打つ金の髪と透けるような肌と、澄んだ紫の瞳を見つめた。その面差しは誰かに似ている……。
「ルドウィン王子。お目にかかれて光栄です」
「エレタナ王女||
 不意に、あの夜のことがよみがえった。ユナ||
 起きようとして、痛みに顔をしかめる。
「無理をなさらないで」エレタナがそっと押しとどめた。
「彼女は||ユナは無事ですか?」
「ええ。ユナも、ほかの方々も」
 彼は安堵の息をつく。それから、手厚い看護を受けたことに気がついて、礼をいった。
「ユナもよく手伝ってくれました」エレタナはほほえむ。「でも、あなたの命を救ったのは、なんといってもレイン少佐でしょう」
「レイン少佐?」
「あなたがたを迎えにいったルシナンの戦士です。あの夜駆けつけて、応急処置を」
「そうでしたか……」
 エレタナは彼の上半身を起こし、背中に枕をいくつかあてがうと、湯気を立てているカップを運んできた。煎じ薬。部屋中に立ち込めている匂いの正体だ。
 受け取ってひと口すすり、思わずむせる。匂いもひどいが、味はその比ではない。
「毒で弱った身体の回復を助けるんです」エレタナはいい、ちょっといたずらっぽい顔をする。「最後までお飲みくださいね」
「二度と毒に当たらないようにしますよ」ルドウィンはこたえた。
 
「ルド! よかった!」部屋に入ってくるなり、ヒューディは枕もとに飛んできた。
「いったろ? 俺はタフにできてるって」ルドウィンは片目をつむってみせる。
「殿下……」ヤンも入ってきて、涙をぬぐうヒューディの後ろで控えめにたたずんだ。
「心配かけたな」
 手短にといわれていたのだろう。少し話をしたあと、ヒューディは、ユナの弓の練習が終わったら、一緒にのぞいてみるといって、名残惜しげに出て行った。
 入れ違いに、トリユース将軍が入ってくる。
「ルドウィン殿下! このたびのわが国の不始末、誠に申し訳ありません」
「トリユース将軍。貴国の落ち度ではありません。それより、わたしがこうしていられるのは、レイン少佐のおかげだとうかがいました。本当にありがとうございます」
「少佐は優秀な士官です。お役に立ててよかった。それにしても、七年前と少しもお変わりありませんな! うらやましい限りです。わたしなんぞ、必要以上に貫禄かんろくがつきましてね」将軍は笑い、すぐに真顔に戻る。「お父上のご書面、ヤン殿より拝受しました。貴国も正式に連合国の朋友ほうゆうです。ぜひとも、ランカの駐屯地に援軍を派遣していただきたい」
 ランカ。古代の遺跡が発掘されたことで知られる、星形の要塞都市だ。
「承知しました」ルドウィンはこたえ、ヤンに、ウォルダナへの使者の手配を頼んだ。
「では、そろそろ失礼を」エレタナの目くばせに気づいて、将軍がいう。「どうぞゆっくりご静養ください。それがご回復への一番の近道ですからな」