彼は意識を失ったままで、ユナはエレタナの助手を務めている。シャツを脱がせ、血がべっとりと染みた包帯を取り、脇が下になるように身体の位置を変えたところだ。
エレタナは小さな青い
ルドウィンの呼吸が次第にゆっくりになり、表情もやわらいでくる。
ユナは、湯にひたした清潔なガーゼをしぼり、彼の身体をふいた。肩から胸にかけての引きしまった筋肉は、たくましいけれど、すっきりと無駄がない。つい先ほどまで燃えるようだったのに、呼吸が落ち着くにつれて、全身の熱が下がるのがわかった。
ふと、不思議な思いがよぎる。前にもこうして彼女を手伝い、誰かの手当をしなかっただろうか……。
「これでいいわ」
エレタナの声に、我に返る。驚いたことに、傷口はすっかりふさがっていた。
「あとはゆっくり休めばだいじょうぶよ」
「ありがとうございます」ユナは安堵の息をもらす。「ヒューディに知らせなきゃ。ルドが心配で、ここまでついてきたんです。偶然手紙を預かっただけなのに。あ、そうだ!」
ユナは、首からさげていたサテンの袋を外して、エレタナにさしだした。
エレタナは、そっと水晶を取りだす。さまざまな者の手をへて、彼女のもとに戻ったその石は、なにごともなかったかのように、その手の中で澄んだ輝きを放った。ユナを長椅子に誘って隣に座ると、エレタナは片手を水晶の上にふわりとかざす。
淡い光とともに、水晶の面に、ルドウィンが馬車の中でさしだしたときと同じユナの姿が浮かび上がった。それが、十七歳の誕生日||あのダンスパーティの日の彼女にとってかわった。シフォンのドレスに身を包み、レアナと階段を降りてゆく幸せそうなユナ。
それから、小さな教室が映った。先生の話に耳を傾けるレアナの隣で、夢見がちに窓の外を見ているユナ。続いて、ヒューディの一家を見送った夏の日。わんわん泣きながら、去ってゆく馬車を追いかけるユナ。ただ立ち尽くして涙を流すレアナ。ふたりの少女はさらに幼くなって、ローレアの花咲く丘をヒューディと駆けている……。
そうして、過去へ過去へとさかのぼりながら、水晶の中のユナは、最後に、揺りかごの中の赤ん坊になった。すやすやと眠るその幼子を、若い男女がそっと見守っている。女性の胸もとには、ローレアをかたどったペンダント……。やがて、ふたりのやさしい面影も、赤ん坊の平和な寝顔も、淡い光の中にゆっくりと消えていった。
ユナは黙ったままエレタナに身を寄せ、澄み切った石に戻った水晶を見つめる。
「この水晶で、ずっとあなたを見守っていたわ」エレタナは静かにいった。「そして、時が満ちたとき、ルドウィン王子にあなたを探してほしいと頼んだの」
「ウォルダナの王子だったから?」
「いいえ。彼なら、あなたを無事に連れてきてくれるとわかっていたから」
||あの人は信頼できる人よ||
ふと、レアナの声がよみがえる。そして、もうひとつ忘れていたことを思い出した。
「いけない!」ユナはぱっと立ち上がる。「ここで待っていてくださいね」
彼女は部屋を飛びだし、すぐに戻ってくると、リボンをかけた小箱をさしだした。
「これ、あなたに」
「まあ……」エレタナはささやき、大切そうに受け取ると、そっとリボンをほどく。
小箱の中から、薄いシルクに包まれた
「ローレアの香水です。ローレアは、ウォルダナにだけ咲く花なんです」
エレタナは小さなガラス瓶を見つめる。紫の瞳が翳るのがわかった。がっかりっせたのかもしれない。
「エルディラーヌにはきっと、きれいな花がたくさんありますよね。香水だって、もっと素敵なものがいろいろと。けど、ローレアはわたしにとって特別な花なんです。ずっと、ローレアに囲まれて育ったから」
急いでそういってから、正直にいいそえる。
「実はこれ、ルドウィンの側近がいくつか用意してくれた中から選んだんです。だから、ほんとはわたしからとはいえないけど、ウォルダナのものでなにかひとつといわれたら、やっぱりローレアの香水にしたと思います。自分で使っちゃおうかなって思ったくらい」
ユナは笑い、エレタナも笑う。それから、ユナをやさしく抱きしめた。
「ありがとう、ユナ。うれしいわ」
その夜、ウォルダナからの旅人のために
テタイアの王立軍側と、エルディラーヌから訪れているフィーンを含めて各国の代表がそろい、グラスにシャンパンが注がれる。
将軍は、歓迎の言葉をこう締めくくった。
「現在テタイアに送っている密使が戻り次第、作戦会議を開くことになるでしょう。それまではどうか、各国の代表と親睦を深め、よきひとときをお過ごしください」
晩餐会は、終始なごやかな雰囲気だった。
「なあ、ヒューディ」口の中に猛烈な勢いでご馳走を詰め込みながら、フォゼがいう。「そこにいるフィーンたち、ほんと何千年も生きてんのか? えらくきれいで絵みたいだよな」
「そんなじろじろ見るなよ。失礼だろ?」
そうはいったものの、ヒューディも、フィーンたちに惹かれずにはいられなかった。
みんな流れるような金髪で、肌は透けるように美しく、内側から光が発せられているような淡い輝きを帯びている。誰しもとても若く見えたが、ただひとつ、瞳だけが違っていた。何千年もの歳月を見つめてきたであろう瞳には、不思議な静けさが湛えられていた。なかでも、深い悲しみを秘めたエレタナの紫の瞳は、ヒューディの心を強く揺さぶった。
「それいらないのか? うまいぜ」
フォゼの手が横から伸び、ヒューディの皿にのっていた料理をかすめとる。大きな肉のかたまりを口に放り込むフォゼを見て、思わずため息がもれた。
「ルドが生死の境をさまよったってのに、よくそんなに食えるな」
「俺が食わなきゃ、王子がよくなるってわけじゃないだろ?」
「たとえそうでも、おまえはそうしないよな」
フォゼは聞いていなかった。給仕をつかまえ、おかわりを頼むのに忙しかったからだ。
彼らの向かいでは、デューとユナが、トリユース将軍と話していた。
「例の事件の手がかりはつかめましたか?」デューの問いかけに、将軍は顔を曇らせる。
「いや、まだなにひとつ」
「例の事件って?」ユナが聞いた。
「奇妙なことが続いているんだ」とデュー。「連合軍のいくつもの部隊が、各地でごっそりと姿を消しているんだよ」
「さよう」将軍がいった。「天幕や
第13章(2 / 2)に栞をはさみました。