13

 降るような星空のもと、彼らはくぼを発った。デューはあしにルドウィンを乗せ、後ろから支えるように手綱をとり、かたわらを、アリドリアスが寄り添うように駆けてゆく。
 彼らは、夜を徹して走った。丘陵地帯に入り、次第に起伏が激しくなるなか、デューがいったとおり、馬たちはフィーンの馬とともに、翼が生えたかのように走った。
 夜明けの風が大地を吹き渡るころ、彼らは小さな泉のほとりで歩を止めた。
 デューはヤンの手を借り、意識のないルドウィンを草の上に横たえて、フィーンの秘薬を口に含ませた。ヒューディがもの問いたげにデューの顔をのぞき込んだが、彼の表情を見て、そのまま口をつぐんだ。
「戦況はどうですか?」ヤンがたずねる。
「非常に厳しい情勢です。ヴェテールが落ちました」
「ヴェテール?」ヤンは信じられないというようにデューを見た。「難攻不落とうたわれているあの河畔の古都が?」
 デューは暗い表情でうなずく。
「護衛部隊に敵の密偵がいて、その手引きで。われわれは、軍事上の要衝を失いました。ドロテ軍は、ヴェテールから首都を目指して進撃を続けています」
 沈黙が落ちた。
「急げば、明日のうちに白銀の谷に着くでしょう」デューは行く手を仰ぎ、彼らに目を戻す。「少し眠った方がいい。わたしが見張りに立ちます」
 
 仮眠のあと、ささやかな食事を分け合いながら、フォゼが聞いた。
「デュー、フィーンの耳って、ほんとにとがってるんですか?」
 デューは笑い、ほかの者も笑う。昨夜から張り詰めていた空気が、ふとなごんだ。
「見たところは、さしてぼくらと変わりないよ。光を帯びていて、とてもきれいだけどね」
「じゃ、見えないとこが違うんだ」
「え? 知らないのか?」とジョージョー。「フィーンは永遠の命を持ってるんだよ」
「それくらい知ってるさ」フォゼはむっとして相棒を見る。「けど、おとぎ話だろ? それがほんとなら、どんどん増えて大変じゃないか」
「ひいちゃんの話じゃ、子どもは、そんなしょっちゅう生まれないんだ。そのうえ、大いなるダイヤモンドが奪われてからは、ひとりも生まれなくなった。だから、エレタナ王女が最後のフィーンなんだよ。王女にはルシタナが生まれたけど、それは、相手のランドリア王子が人間だったからなんだって」
 ユナは、急に息苦しくなってきた。片手で、胸もとの小さなペンダントを握りしめる。ローレアの花をかたどった、母の形見。父からの贈り物だといって、母が肌身離さず身につけていた金のペンダント……。
 母の面影はおぼろだったが、胸もとのペンダントとやさしい歌声は、いまも心に残っている。その澄んだ声を聴きながら、ユナは父のことを想ったものだ。母も同じ想いで歌っていたのだろう。そのことに気がついたのは、ずっとあとになってからだったけれど。
 ユナの気持ちを察してか、ヒューディが心配そうに彼女を見る。
「永遠に生きるなんてずるくないか?」フォゼがいっている。
「そうかなあ」とジョージョー。「なんだか疲れそうな気がするよ」
「フィーンにも寿命があるそうだよ」デューがいった。「もちろん、人よりはずっと長い。今回来ているフィーンは、二千年前の暗黒の時代に戦ったそうだから」
 フォゼは目をぱちくりさせ、ヒューディが小声でいう。
「デュー。フォゼたちは詳しい事情を知らないんです」
「いまなんて?」とフォゼ。
「なんでもないよ」ヒューディはいう。「ところで、あなたの弓の腕前はすごいですよね。本当に助かりました」
「間に合ってよかった」デューは笑顔でこたえ、「ユナ。きみも灰色を仕留めたそうだね」
 ユナは赤くなる。
「あれは、近かったから……」
「近くても、そうそう冷静になれるもんじゃない。弓はどのくらいやっているの?」
 ユナはちらっとヤンを見た。
「この前、ヤンに素引きを教わって、射ったのは、ゆうべが初めて」
「それが心臓を射抜いたんだね?」デューはいう。「参謀本部に着いたら練習するといい。ヤン殿はウォルダナ代表として忙しくなるだろうから、よければ、ぼくが見ようか?」
 思いがけない言葉だった。胸がどきどきし、ユナはただ黙ってうなずく。
 どこか憂いを帯びた彼の瞳と、やわらかな、それでいてよく通る声には、ユナの魂にふれるなにかがあった。特に、彼が「ユナ」と呼びかけるとき、その声は翼を持ったようにただよい、彼女を包むのだった。
「その参謀本部というのは、昔の要塞かなにかですか?」ヒューディが聞く。
「いや、セティ・ロルダの館といって、王室の別荘だったところだよ。古くは、黄昏たそがれの館と呼ばれていたそうだ」
「黄昏の館?」
「ああ」デューはほほえんだ。「行けばわかるよ」
 
 翌日の午後、彼らは白銀の谷に入った。
 美しい渓谷けいこくだった。さまざまな色調の新緑があふれ、川は澄んだ水色で、光のしずくを集めたようにきらめいている。その平和な光景の中では、時の流れさえも止まっているかのようで、隣の国が戦乱のさなかにあるとは信じられなかった。
「もうすぐだよ」陽がすっかり傾いたころ、デューがいった。
 彼らは川沿いの道を離れ、白樺の木立に入った。ウォルダナを離れてから白樺を見るのは初めてで、ユナは、クレナの小さな村を思いだし、なつかしさでいっぱいになる。
 上り坂を進むと、アーチになった門が現れた。高い門にはつたがからまり、両脇には、門番と騎乗姿の女性がいた。門番のひとりが鐘を鳴らし、その音色が渓谷に響き渡る。
「セティ・ロルダの館にようこそ」騎乗の女性はにこやかにいい、ルドウィンを支えているデューにささやいた。「レイン少佐。エレタナさまがたいそう案じておられます」
 ユナは、はっとする。もうすぐエレタナに会うのだ||
 不意に、空気がひどく濃くなった気がした。アーチを抜け、カーブを描く坂道を上がりながら、その空気をかきわけて進んでゆくようで、ユナは胸が苦しくなる。
 やがて傾斜が緩やかになり、庭園が見えてきた。なかほどにはユニコーンをかたどった噴水があり、遅咲きの水仙がまわりを縁取っている。
 館は、その庭園の奥に静かにたたずんでいた。
 瀟洒な窓が連なる石造りの建物。中央には、円柱に囲まれた広い正面玄関があり、すべてが、この夕暮れのなかで息を呑むような色に染まっている。
 庭園に入ってゆくと、衛兵が並ぶ正面玄関の奥から、ほっそりとしたシルエットが現れた。すらりと背が高く、流れるような白い衣装をまとっている。
 まだ遠く離れていたし、円柱の影になっていたが、ユナにはすぐにわかった。吸い寄せられるように、彼女の瞳を見つめる。その紫の瞳は、深く澄み渡っていた。ユナは馬を走らせ、正面玄関の前で飛び降り、石段を駆け上がる。ひととき、ふたりは見つめあった。
 エレタナがほほえみ、両腕を広げる。次の瞬間、ユナはその腕の中に飛び込んでいた。