11

 彼らは、翌日もその翌日も東の森を進み続けた。
 ルシナンの大地を目指して、馬がやっと通れるかどうかというほど暗く密集した針葉樹の木立や、動物のがいがいくつも水面からのぞいている沼地、時には、片側は切り立つ山肌、片側は底知れぬ谷という険しい崖の縁を通って。
 フォゼは、そうした植生や特徴ある地形を目印にしているようだった。行き止まりにあたって引き返すこともなく、ほとんど迷わず彼らを導いてゆく。
「ほんとによく覚えてるのね」ユナが感心したようにいった。「道なんてないのに」
「俺の体内には、生まれつき針盤しんばんがあるんだ」とフォゼ。「一度行ったところは絶対忘れない。その||もちろん、ここには何度も来てるしさ」
「こんな森に何度も来るなんて、いったいどんな用があったの?」
「えっと||ほら||俺とジョージョーは運搬業をしてるだろ? ルシナンまで、近道を通って早く届けりゃ、それだけ報酬もはずむってわけさ」
 ヤンはルシナン製の精巧な羅針盤をたずさえていたので、時おり方向と進んだ距離を確かめては、正しい方角へ進んでいると請けあった。
 そんなフォゼも、濃い霧が出て、前方がほとんど見えなくなったときには、さすがに止まった。
「この霧じゃ、俺の羅針盤は働かないや」
「こちらの羅針盤も、針がぐるぐるまわっていますよ」ヤンも手もとを見ていう。
 彼らは馬を木につなぎ、霧が晴れるのを待つことにした。苔むした倒木に、並んで腰をおろす。流れる霧のなか、ぼんやりと互いの顔が見えた。
 ヒューディはユナの隣に座る。あれからも時々、彼だけが、得体の知れないものを見たり、おかしな物音を聞いたりしていたが、この日は朝から一度もそういったことがない。やれやれと、ほっとあんの息をついて、つと眉をひそめた。
 どこからか、不思議な歌声が聞こえてくる。知らない調べ、知らない言葉。そして、えもいわれぬ美しい声。
 声は遠くから、高く低く、彼を誘うように歌っている。
「ユナ」ヒューディはささやいた。「聞こえる?」
「なにが?」
「歌声だよ」
「聞こえないわ」ユナはかぶりを振って、心配そうに彼を見る。
 霧でよく見えなかったが、ほかの者も自分のほうを向いたのを、ヒューディは肌で感じた。
「ヒューディ」
 反対側の隣に座っていたジョージョーが、切りだしにくそうにいう。
「もしかして、あのとき、妖精の輪を踏んだんじゃないかな。端っこの方をちょっとばかり。それで、彼らに姿を見られたんだよ。だからきみの方も、彼らの姿を見たり、声を聞いたりするんじゃないかな」
「あれが妖精のものかどうかはさておき、きのこを踏んだのは間違いないでしょうな」
 ユナの向こうから、ヤンの声がした。
「その際、胞子が飛んだのでしょう。あの毒きのこは、胞子を吸っただけでも、幻覚や幻聴を引き起こすことがあるといったのを覚えていますか? まれに、あとから症状が現れることもあるのです」
「へえ」とフォゼの声。「ヒューディ、美人の妖精でも見て、ぽおっとして、ついてったりしないようにな」
「大きなお世話だ」ヒューディはむっとして、いいかえした。
「じきにおさまりますよ」ヤンがいう。「あの朝、ずぶ濡れになって戻ってきたときから、もしやと思って気をつけていましたが、症状は少しずつ軽くなってきているようですからね。歌声は、まだ聞こえていますか?」
 そういわれてヒューディは、先ほどの不思議な歌声が、いつしかやんでいることに気がついた。
「いいえ」彼はかぶりを振る。
「それはよかった」
「まったくだ」とフォゼ。「また化け物が出たと大騒ぎされちゃ、かなわないからな」そういって、からかうように笑う。「ま、二度ときのこを踏まないようにしろよ」
 まったくいけすかない野郎だ。
 道案内として役に立っているからか、フォゼの態度は目に見えて大きくなっている。ユナなど、すっかり打ち解けているようだ。
 けれども、ヒューディは、どうしても気を許すことができずにいた。
 たぶん、ワインの瓶で殴られたせいだろう。旅の当初はそれこそ、馬に揺られて一歩進むたびに、頭の中でガンガンと鐘が鳴っているようだったし、それがやっとおさまってきたところで、こんなふうに笑われたのでは、とうてい寛大な気持ちになどなれないというものだ。
 
 都を発って五日目の午後、フォゼの先導に異変が起こった。
 右へ進んだかと思うとすぐに左に戻ったり、同じところをぐるぐる回ったりと、まったく要領を得ない。
「フォゼ」ルドウィンがいった。「賞金稼ぎに二千ルピカくれてやりたくなったのか?」
 フォゼはびくっとして振り返る。
「ど||どういう意味?」
「どういう意味もこういう意味も、おまえが道に迷ったのなら、いますぐこの場に置いていくってことだ」
「ま||迷ったわけじゃないよ。このへんに池があるはずなんだ」フォゼは慌てていい、ジョージョーを見る。「な、相棒? そうだったよな?」
「どうだったかなぁ」ジョージョーは困った顔をした。「あんときは、ただ、おまえの親父さんたちについてっただけだし、俺、おまえと違って、一度来ただけじゃ覚えらんないから」
「一度?」ルドウィンは語気を強める。「一度だって? 東の森の抜け道にかけては自分たちほど詳しい者はいないとおお切ったのは、どこのどいつだ?」
「俺||ほんと方向感覚はいいんだ」フォゼは、おどおどしてルドウィンを見る。「普通、一度行ったとこは完璧に覚えてるんだよ。ただ、この森はちょいと勝手が||
「聞いて!」ユナが声を上げた。「水の音がする」
 彼らは耳をそばだてる。
「ほらね、また聞こえた」ユナはうれしそうだ。「きっと魚がはねる音ね。近くに池があるのよ」
「なにも聞こえないな」とルドウィン。
 ほかの者も一様にうなずく。
「そんなはずないわ。||あ、あれは星ツグミじゃない? ほら、鳴いてる」
 星ツグミだって? 彼らは顔を見合わせる。
 この東の森に入ってから、鳥の鳴き声といえば、オオネコガラスの悲鳴のような声か、啼鳥なきどりか名も知らぬ猛禽類もうきんるいの不気味な声のほか、とんと聞こえたためしがない。
「みんな、耳がどうかしちゃったの?」誰も反応しないのを見て、ユナはじれったそうにいう。「ねえ、フォゼ。池の方にいけばいいのね?」
「ああ。池のまわりをまわって、対岸から西へ抜ければ、ルシナンに出られる。池で太陽の位置を確かめれば間違いないよ」
「わかった」ユナはうなずき、先頭に立った。
 フォゼはほっとしたようにユナのあとを行き、ほかの者もそれに従う。
 しばらく進むと、彼らにも星ツグミのさえずる声が聞こえてきた。さらに進むと、その歌声のあいまに、かすかな水音も聞こえてくる。
 やがて、視界がぱっと開け、なみなみと水を湛えた大きな池が姿を現した。なかほどでは、小さな魚がしきりにはね、水しぶきをあげている。
 ヒューディが口笛を吹いた。
「ユナの耳はうさぎの耳だ」
「いや」ルドウィンはかぶりを振る。「フィーンの耳だ。フィーンはすぐれた五感を持っている。彼女の中で、それが少しずつ目覚め始めているんだ」
 
 池のほとりは、頭上にぽっかりと青空が広がって、同じ森の中とは思えないほど明るかった。星ツグミが歌うなか、しばし休憩を取りながら、みんなの気持ちも明るくなる。
「ユナ。その弓は本当に素晴らしいですね」ヤンが声をかけた。「試しに、少し引いてみませんか?」
「そうね」ちょっと考え、ユナはうなずく。これまで、まったくそんな気にはなれなかったが、そよ風に吹かれて、久しぶりにさわやかな気分になり、ふと、さわってみてもいいかなと思ったのだった。
 ルドウィンが、どういう風の吹き回しかというように眉を上げる。
 ユナは、そんな彼を一瞥いちべつすると、つんと澄まして背を向けた。
 ヤンは銀の弓を手にとる。
「よい武器を選ばれました。手にしっかりなじんで、引きは驚くほど軽い」
 そして、弦の扱いから、矢のつがえ方、弓の構え方などを丁寧に実演してみせた。
「そういうことはないように願っていますが、万が一、奴らを前にしたら、心を落ち着けて、心臓にしかと狙いをさだめてください。胸もと中央の、わずかに左寄りです。おそらく、チャンスは一度きり。ですから、焦らず、確実に仕留めることが肝心です」
 彼は弓を差しだす。
「でも、まずは素引きからですね」
 ユナは教わったとおり左手に弓を構え、右手の指に弦をかけて引いてみた。引きが軽いといわれたものの、案外と力がいる。何度か引いただけで、すぐに嫌になった。
「もっと簡単かと思った」
「何事も鍛錬です。いまに上達されますよ」
「ありがとう」
 やさしいヤンの手前、ユナはしおらしくそうこたえ、心でそっといいそえる。でも、もうけっこうよ。
 
 池を過ぎてからの道のりは、すこぶる順調で、一行は、日が暮れる前に、広々としたルシナンの草原に抜けることができた。
 一番星が輝くもと、今度は、ルドウィンとヒューディが並んで先頭に立つ。
 黄昏たそがれに染まる大平原を進んでゆくと、とっぷりと日が暮れるころ、行く手に小さな木立が見えた。
「あそこなら、ひと目につかないだろう」ルドウィンがいう。
「東の森じゃなきゃ、どこでも大歓迎だよ」ヒューディはこたえた。
 夕食をすませると、彼らはやわらかな草の上に身体を横たえた。うっそうとした森の中と違って、降るような星が、ブナやかえでこずえにかかり、そばには、澄んだ小川が低く歌うように流れていた。
 ようやく東の森を抜けた安堵感から、誰もがたちまち深い眠りに落ちてゆくなか、ただひとり、夜番のルドウィンだけが、暗い地平線にじっと目を凝らしていた。