第31章
「見せたいものがあるんだ」
さっとラシルの手をとると、弟は足早に歩き始めた。小さな青い実をつけた
「待って、リー。降りてきたのは||」
リーは振り返った。
「わかってる。やつらがしびれを切らして、あの人を起こせっていったんだろ?」
ラシルはちょっとびっくりする。弟は昔から勘がよかった。
「あとでヤドリギ草あたりを適当にみつくろうよ。でも、もうきっと||」
その声をさえぎって、低い音が響いてきた。リーは足をゆるめ、ラシルの顔を見る。
言葉をかわさなくても、ふたりにはわかった。発掘現場の埋め立てが始まったのだ。探していた剣が見つかったのだから、もう発掘の必要はない。明日に備えて、宮殿前広場を整えようというわけだ。
弟はふたたび足を早め、林檎の若木をまわって、忘れな草の小径に入る。
見せたいものってなんだろう? これほどまでに真剣な表情の弟を見るのは初めてで、ラシルは声もかけられない。
忘れな草の茂みを過ぎたところで、リーが足を止めた。地面に片ひざをついて、青々と茂ったすみれの葉の下に手を入れ、なにかをつかんでそっと引きだす。
ほっそりした指のあいだから、神秘的な青い光がこぼれ落ちた。
リーは、ラシルの目の前でゆっくりと手を開く。その手の中で、澄んだ美しい石が
「ダイヤモンドだよ」リーはささやく。「あの人がしていたんだ」
息づくように輝く石に魅せられて、ラシルは言葉を失った。時間の感覚さえも……。
「さわってみて」
弟にうながされ、ダイヤモンドにそっとふれる。
そのとたん、指先から腕を通して、
祖母は、村の石切り場で採れる水晶や
「あの人はルシタナの
彼がいうことは、わかる気がした。たったいま感じた清冽な光は、ラシルの身体にまだはっきりと残っており、これまで経験したことのない感覚が、全身を包んでいる。
「でも」ラシルはふと眉根を寄せ、「こんなブレスレットを
「あの石は、ずっとなりをひそめていたんだよ」
「え?」
「息をひそめるんだよ。姉さんやぼくが大人の前で目立たなくしてるみたいに」
「じゃあ、リーはどうしてわかったの?」
「イーラスのやつがあの人を運んできたとき、石の声が聞こえたんだ。それで、さりげなく近づいたら、袖口から青い光がこぼれてた」
まだ埋め立て工事の音が響いていたが、万が一でも聞かれてはいけないというかのように、弟はいっそう声をひそめる。
「特別な石だとわかった。守らなきゃならないことも」
「でも||いつ外したの?」
あのときリーは、ブレン軍医に息吹草をとってくるよういわれ、すぐに部屋を出ていったはずだ。そして、ラシルが娘の服を脱がせたときには、衣服のほか、金のペンダントを身につけていただけだった。
「調合室にバスケットを取りにいったあと、寝台の横を通って部屋を出たんだよ。イーラスと軍医は、ちょっと離れて小声でなにかいい争っていたし、姉さんは編み上げ靴を脱がせてた」
弟はいい、どきっとするほど大人びた目でラシルを見た。まだ十一歳なのに、二十歳の若者のような目で。
「姉さん」そう低い声でささやく。「これは、フィーンのダイヤモンドの欠片だ。大いなるダイヤモンドの一部だったんだよ」
ラシルは、弟を見つめ返した。
大いなるダイヤモンドの一部?
光の剣を切り出すと、残りのダイヤモンドは燃え尽きたはずだ。少なくとも、伝説はそう伝えている。それに、いくらリーが石の声が聴けるからといって、どうしてそんなことがわかるのだろう?
リーはさっとあたりを見回した。薬草園には、まだふたりきりだ。
「薬草を頼まれたんだろ?」ラシルの手を引いて歩き出す。「
リーはずっと、姉とふたりきりになれる機会を待っていた。
時間は長くはとれないだろうし、姉がどこまで自分の話を信じてくれるかわからない。だから、ラシルが薬草園に降りてくるやいなや、ブレスレットを見せたのだった。
自分の手でふれたなら、あの石がただのダイヤモンドではないと感じられるはずだから……。
かつて、村の者たちとこの宮殿に連れてこられたあと、リーは密かに洞窟を探索した。
自分ならルシタナの再来を助けられる気がしたのだ。彼には石の声が聞けたから。たとえ石が眠っていても、その波動を感じられたから。そうしてルシタナを手伝って、大いなるダイヤモンドをフィーンの世界に還したいと思ったのだ。
人が聞けば、子どもが考えそうなことだと笑うだろう。だが、リーは真剣だった。
彼は石や岩の声に耳を澄まし、このあたり一帯が、昔とはかなり姿を変えていることを知った。
二千年前、大きな地震があったのだ。大理石の硬い地盤の中にも、
そのほか、地震よりもっと大きな力が働いていたこともわかった。リーには、それがなにかはわからなかったけれど、真っ白な光が
洞窟の方は、昔の姿をとどめているところが多かった。崩落した箇所もあったが、どこがそままのところかは、見ればすぐにわかったし、どこに古い洞窟が埋もれているかも、耳を澄ませば手にとるように感じられた。
けれど、絶大な力を持つような石の波動は、どこにも感じられなかった。
もちろん、ダイロスの魔力で封印されているに違いない。ただ、まわりに、そのこだまくらいは残っているはずではないか。
どう考えてもおかしかった。
リーはさらにじっと耳を澄まし、洞窟が想像を絶する長さで続いていることを知った。そして、悟った。
ダイロスは、光の剣を、延々と続く洞窟の果てに隠したのだ。
ダイロス||。フィーンの至宝を奪い、伝説の戦争を引き起こした男。
リーにとって、祖母が語る二千年前の伝説の人々は、いつだって、家族や村の石工と同じくらい身近に感じられたものだった。なかでも、ルシタナとダイロスは別格で、そのふたりは、圧倒的な存在感でリーの心を占めていた。
そのせいだろう。空中庭園のテラスから、初めてグルバダを見たときの衝撃は、いまもはっきりと身体に残っている。
見事な馬にまたがり、少数の精鋭を従えて
リーは急いで大広間に降り、衛兵の目を盗んで翼のある獣の彫像に登った。そして、その翼の陰に身を隠し、細心の注意をはらって気配を消した。
やがて、グルバダが入ってきた。リーの目は、腰に帯びた長剣に引き寄せられた。暗い波動を発する、その黒々とした剣に。そんな波動は、生まれてこのかた感じたことがなかった。
すぐにわかった。影の剣||。祖母の伝説で聞いた影の剣だ。
光の剣と対となって、不死身の騎士を生み出した剣。
グルバダは二日間滞在し、自ら発掘現場で陣頭指揮にあたった。魔術に通じ、心を読むといわれていたが、それは見ただけでわかった。
もしもリーが石の声を聴くことができると知ったなら、グルバダは彼を発掘現場で
リーは、グルバダが宮殿にいるときには、いつも以上に心の守りを固めた。
次に訪れたとき、グルバダは、村を襲った部隊の指揮官イーラスをともなっていた。
それ以来、グルバダは、ほとんどイーラスと一緒に現れるようになった。ひと月前、イナン王子が運ばれてきた翌日もそうだ。
そして、あの日からずっと宮殿に留まっている。これまでは、三日もしないうちにふたたび戦地に発っていたのに。
悪い予感がした。
そして五日前。その予感は、はっきりとした形となってあらわれた。
宮殿の南にあるマレンの森で、ほかの薬草使いたちと、マレン酒に漬ける実を摘んでいると、グルバダの影の剣がおののくようにふるえたのが、衝撃波となって心臓に伝わってきたのだ。
その瞬間、リーの心に、燦然と輝くダイヤモンドの刀身が映った。銀の
リーは知った。ついにルシタナの再来が光の剣を見つけ、剣が二千年の封印をとかれて目覚めたのだと。そして、それが空間を超えて、影の剣に伝わったのだと。
その午後、イーラスは宮殿を発った。選びぬかれた灰色どもを引き連れて。
リーは、ルシタナの再来が、光の剣を無事フィーンのもとに還すことを祈った。夜ごと朝ごと、ただ一心に祈った。薬草使いの少年にとって、それだけが唯一、できることだったから。
そしていま、姉の手を引いて薬草園の小径を歩きながら、リーの足は、無意識のうちに早くなる。胸の鼓動も早くなった。
姉の協力なしに、あの娘を助けることはできない。
ラシルはなんというだろう。彼の話を信じ、彼を信頼してくれるだろうか……。