月がふたたび顔を出し、あたりを明るく照らしたときには、ヒューディは長いなわばしを伝って、地下へと降り立っていた。
 一番近くの穴に飛び込んだのだが、思ったよりずっと深かった。全力疾走のあと、遥か下にちらついている灯りを頼りに、何度か足をすべらしそうになりながら、どうにか下りてきたのだった。
 ヒューディは、肩で息をしながらあたりを見まわす。
 そこは天然の洞窟どうくつだった。赤々と燃えるたいまつが、暗い壁を照らしている。洞窟は宮殿の方向へ延びているようだ。
 壁の松明を失敬しっけいしようとして、予備が数本置かれているのが目をとまった。一本を手に取って火を移す。松明は勢いよく燃え始めた。
 
 洞窟はひんやりとして、あちこちで分岐しながら、複雑に入り組んでいた。松明を手に闇の中を進むうちに、次第に方向感覚が失われてくる。
 先ほどから、同じところをぐるぐる回っているのではないか。宮殿と逆方向に来てしまったのではないか。このまま永久に出られないのではないか。
 そんな不安が胸をよぎり、呼吸が浅くなってくる。
 不意に、地面のくぼみに足を取られ、ヒューディはつんのめるように倒れた。松明が手を離れ、地面に転がる。両手と両膝に痛みが走った。
 すぐに立ち上がろうとしたものの、身体がいうことをきかない。
 くそっ。立ち上がれ、ヒューディ。彼は自分にいいきかせる。
 だが、彼の意志とは裏腹に、強い眠気が襲ってきた。まぶたがゆっくりと降りてくる。ゆうべはほとんど眠っていないし、疲労は限界に達していた。
 少しだけ。ほんの少しだけ眠れたら||。そう思ったときだった。目の端で、緑の光がまたたいた。
 ヒューディははっとする。
 光は消えていた。
 まばたきしてよく見たが、松明が転がっているほか、あたりには暗闇が広がるばかりだ。きっと幻でも見たのだろう。
 けれど、その幻の光が希望の灯をともしたかのように、ヒューディは、身体の中に力がよみがえるのを感じた。彼はユナを思った。ルドウィンを。そしてレアナを。
 ヒューディは立ち上がり、松明を拾う。そのとき、どこからともなく、微かな水音が聞こえてきた。耳を澄まして歩くと、少し先で地面の片側が崩れ、大きな穴がぽっかりと口を開けていた。水の音は、そのはるか下から響いてくるのだった。
 地下水路だ。ヒューディは、地面が崩れていない方を慎重に進む。
 ほどなく、唐突に洞窟が終わった。ここまで来て、行き止まりか||
 と、なにかが彼の目をとらえた。岩壁が一か所、妙にすべらかに見える。松明を近づけて、さわってみた。そこだけすり減っている。
 ヒューディは、体重をかけて押してみた。手応えがあり、岩壁はゴゴーッと音を立てて、回転しながら開いた。隠し扉だ。
 反対側へすべりでる。
 扉の向こうはがらんとしていた。細長い通路が奥へと続いており、遠くの壁には松明の炎が揺らめいている。宮殿の内部に違いない。
 はやる気持ちをおさえて扉を戻す。足音をしのばせて歩き始めたが、心臓は早鐘はやがねのように打ち、まわり中に聞こえそうなほど、ドキドキと大きな音を立てている。
 少し進むと、壁の片側に暗い空間があった。真ん中がすり減った急な階段が、せん状に上へと伸びている。使用人の階段だろうか? そう思ったとき、通路の奥の方から靴音が響いてきた。
 ヒューディは暗がりに身を隠す。それから、意を決して、階段を上がり始めた。
 
 螺旋階段は狭く、人がひとりやっと通れる幅しかなかった。
 途中、扉のついた踊り場があったが、通り過ぎて、さらに上を目指す。
 こういうところは、階が高いほど階級の高い人物がいる気がした。それに、貴重な人質を幽閉するなら、話に聞くような地下牢とかではなく、やはり上の方ではないか。ヒューディは、そう見当をつけていた。
 頭がくらくらして、額から汗がしたたり、ひざが異議をとなえ始める。そしてついに、松明が燃え尽きようとしたそのとき、階段が終わった。
 そこは、なにもない空間だった。石壁に囲まれ、床も天井もすべて石で、一か所、壁の下から細い光がもれている。
 息を切らしながら、近づいて身をかがめた。松明を置き、明かりが漏れているところを押してみる。
 石が動いて、壁に四角い穴があいた。なんとか通れる大きさだ。
 腹ばいになってのぞいてみる。向こう側は、広々とした廊下だった。人の気配はない。
 ヒューディは穴をくぐり抜け、石を戻して立ち上がる。どうやら回廊のようだ。いくつものかがり火が、大理石の壁や床を明るく照らしている。
 どちらに行こうか迷ったとき、左手から靴音が響いた。
曲者くせものだ!」衛兵が現れ、鋭い声を上げる。
 ヒューディは右手へと走りだした。あたりに警鐘が鳴り響く。
 角を曲がったとたん、幾巻もの布地を抱えた侍女たちに出くわし、ひとりとまともにぶつかった。
 短い悲鳴が上がり、全員がしょう倒しになる。きれいに巻かれていた布が、色とりどりのリボンのように、長い廊下に伸びていった。
「ごめんよ」ヒューディはいい、立ち上がって息を呑む。
 背後から靴音が迫るなか、行く手から、武器を手にした衛兵が次々と飛びだしてきた。