食事がすむと、レクストゥールは
「あなたが光の剣を手にしたとき、グルバダは、影の剣を通してそのことを感じたに違いありません。これまで以上に多くの追っ手を放ってくるでしょう」
彼女は、ドロテに制圧された地域や危険な地域をひとつひとつ指し、どこを避けどこを通るべきかを教えた。そして、少しでも
「わかりました」こたえながら、心に不安が忍びよる。果たしてわたしにできるのだろうか?
「ユナ。自分を信じて。あなたの中にある光の力を。影の力もまたあなたの中にあって、恐れや不安と共鳴して大きくなります。でも、あなたならきっと、その恐怖を乗り越えられる。わたしは、そう信じていますよ」
レクストゥールは地図を丸めてユナに渡す。
「今度の戦いは二千年前のときほど長くはならないでしょう。グルバダは、一気に決着をつけようとしています」
「あなたには戦争の成りゆきが見えるのですか?」
「いくつか、可能性の未来が見えます。それぞれに、まったく違う未来が。けれども、それがすべてではありません。未来はつねに変わります。いつも動いているのです。二千年前がそうだったように」
その言葉に、心が揺れる。二千年前、ルシタナは剣を奪い返され、そのために、預言は
「ユナ。預言の成就はルシタナにではなく、世の人々の思いや行動にかかっていました。そのことも告げましたが、人はわたしが神から預かった言葉をそれぞれの思いで受けとりました。あの当時、預言の真の意味は、ほとんどの人には届かなかったのです……」
声が哀しみを帯び、レクストゥールはしばし遠い瞳をする。
「そして、世界は滅亡へと突き進んでゆきました。それでも、あなたは最後まであきらめなかった。最後の一瞬まで力を尽くしたのです」
ユナの耳に、セティ・ロルダの館でのデューの声が響いた。
||かつて、きみは最善を尽くしたんだ。ずっとそう信じていたけれど、きみを見て、その確信を深めたよ||
デュー……。ユナは目をふせる。
「ええ、ユナ。あなたに弓を教えた人も、そういっていましたね」
ユナは目を上げた。
「ルシタナの努力は、決して
あのとき、あとかたもなく滅び去っていた||? どういう意味だろう? 二千年前、死の吹雪が吹き荒れて、世界は一度滅びたのではなかったか?
けれども、ユナが問うよりも先に、レクストゥールがふたたび口を開いた。
「ルシタナの父ランドリアも、そうした者のひとりでした。ランドリアがダイロスとの一騎討ちに臨んだのは、娘を殺された復讐心からではありません。彼はいつも世界のことを考えていました。そして、最後の最後まで救おうとしたのです」
レクストゥールは静かにユナを見つめる。
「ランドリアも弓の腕に秀で、ルシタナが幼いころから、熱心に教えていました」
あるひとつの確信が、突然、すべての思考を止めた。
その衝撃の中で、ユナはレクストゥールの澄んだ瞳を見つめ返す。
「デューは……デューはランドリア王子だったのですね……」
すべてはそういうわけだったのだ。彼の瞳があれほどなつかしかったのも、彼の声があれほどやさしく感じられたのも、そして、彼のことが胸をしめつけられるほど恋しかったのも、なにもかも……。
涙があふれ、ユナのほおを濡らす。
「エレタナは知っているのですか?」
「ええ。もちろん」
セティ・ロルダの館での最後の朝が思いだされる。夜明け前の庭で、エレタナへの熱い想いを打ち明けたデューと、その想いを拒んだエレタナの姿が。
||愛を捧げた人は、ただひとりです||
あのときなぜ、エレタナはいわなかったのだろう。あなたがそのひとりなのだと。
「悲しまないで、ユナ。必要なときには、人は思いだすものです。あなたが大切な人を思いだしたように」
ルドウィン……。
ユナの心は激しく揺れる。
「遅すぎたんです。思いだした次の日にあんなことになるなんて||」
胸がつまり、ふたたび涙があふれだす。ユナは、ルドウィンを失ってから初めて、彼を想って泣いた。
レクストゥールはユナの手に自分の手を重ねる。
「あなたはもう、心ではわかっていますね。人もフィーンも永遠の存在。わたしたちフィーンは人より長く生きるだけ。わたしたちにも、いずれ形を変えるときが訪れます」
彼女は、重ねた手にそっと力を込めた。
「ユナ。お互いのことを想い合う魂は、必ずお互いを探しあてます」
「だったら||またいつか、ルドとも逢えますか?」
「もちろんですとも。それは、大いなる神からの贈り物なのですよ。宇宙には、孤独というものは存在しません。けれども、わたしたちは時々そのことを忘れてしまいます。ですから、宇宙の創造主は、わたしたちにそのことを思いださせるため、魂の友人たちにめぐり逢うのを助けてくださるのです。あなたが、名づけ親のもとへと導かれてきたように」
ユナは顔を上げる。
「ユリディケ。あなたの名は、わたしが授けました。あなたのお父さまに、かつて夢の中で」
ユナは息を止めた。彼女が胸の奥にしまっていた父の話。それは、決して誰にも話さなかった、宝もののような話だった。ただ一度、クレナのダンス・パーティでルドウィンに話したほかは……。
「お父さまは、
目の前のレクストゥールに、ふと、長いあいだぼんやりとすら思いだせなかった父の面影が重なる。父は、より大きく遙かなる世界から、限りなくあたたかなまなざしでユナを見つめていた。
やがて父の面影は消え、レクストゥールのいつくしみに満ちた表情にとって変わる。
「名前は祈りであり、しるしです。あなたの名は、わたしたちのよき友であったヨハンデリの詩からとりました。いまはもう残っていませんが、長い冬のあと早春の女神が地上に降り立つという古い詩の一節から」
そして彼女は、遠い目をして暗唱した。
雪
若草は野に萌えたち
時満ちて戻りしもの
天使ユリディケが矢を放つ……
澄んだ声が森の大気に息づいて、音楽のように流れ、ユナはその響きに身をゆだねる。
「ユリディケは、古いフィーンの言葉で、輝きに満ちるもの、という意味です。その光が、いつも、あなたとともにありますように」
ユナは胸がいっぱいで、なにもこたえることができなかった。
「さあ、お別れです」
レクストゥールは立ちあがり、ユナも立ちあがる。
「なにもかも、本当にありがとうございました」
レクストゥールはほほえみ、木立へと目をやった。
「森外れまで、彼が送ってゆくでしょう」
誘われるようにそちらを見て、ユナははっと息を呑む。
木立の中から、ぼうっと銀色の光が射していた。それはみるみる明るさを増し、木々のあいだから淡い銀色の光を帯びた狼が姿を現す。
森の王者のような、堂々たる体躯の狼だった。額の真ん中には白い星があり、太い首のまわりは長い
その美しい鬣を風になびかせ、狼はゆっくりと歩いてきた。
金色の瞳が、まっすぐにユナを見つめる。不思議ななつかしさが、胸を満たした。
どこかで会った?
ユナは心でささやき、目の前にやってきた狼の、ふさふさの鬣に顔をうずめる。狼は、太陽と月と森の匂いがした。
「
ユナの瞳から、涙の
「忘れないで、ユナ。あなたの中に、すべてがあるのですよ」
レクストゥールは、テーブルの上に木陰をなげかける
「この木をごらんなさい。葉のひとつひとつは、それぞれ別のものですが、どの葉もみな、ひとつの木につながっている。わたしたちも同じ。誰しもが、大いなるものの一部なのです」
彼女は最後にユナをやさしく抱きしめると、身体を離し、あたたかなまなざしでユナを見つめた。
「ユリディケ。どこまでもあなたの道を行きなさい。それだけがただひとつ、真理に通じる道です」
第24章(2 / 2)に栞をはさみました。