「現代よりも進んだ文明がなぜ滅びたのか、いまもまだ、わかっていません。二千年前の伝説の戦争のあと、死の吹雪が地上を吹き荒れ、世界は氷に閉ざされました。そのとき、とこはるのフィーンの国に逃れたわずかな人たちが、やがて、地上が暖かくなったときに戻ってきて、ふたたび、人の住む世界を築いたのだといわれています」
 レアナは言葉を切り、教室を見まわす。
「さて。今日はここまで。なにか質問は?」
 年少の男の子が、おずおずと手をあげた。
「なあに、ハモン?」
「あのう、父さんがいってたけど、フィーンは永遠の命を持ってるって、ほんとなの? 誰もが大人になったらそれ以上年をとらないで、いつまでも若いままだって」
「ばかいってらあ。そんなの作り話だよ」
 後ろの席の少年がいい、小さなハモンは泣きそうな顔になる。
「そう決めつけてしまうのはどうかしら」レアナはいい、みんなに語りかける。「ルシナンの人たちは、フィーンは何千年も生きて、伝説の戦争も見てきたといっているわ。フィーンは永遠に生きるという人もいれば、永遠に若いけれど、命には限りがあるという人もいる。ただ、いまでは、フィーンと交流があるのは国境の森の小さな村だけで、その村の人たちも、決して国境の白銀の川を渡ることはできないそうよ」
 それから、ハモンを見つめてにっこりした。
「わたしは、フィーンにまつわる話には、本当のことがたくさんあると信じているわ」
「じゃあ、先生」年長の少女がいう。「先生は、二千年前に世界が凍ったのは、ダイロスの呪いだっていう話も信じているんですか?」
「そうね||そのことは、わたしもよく考えるの。大きな気候の変化が偶然重なったのかもしれないし、いまの常識では説明できないような力が働いたのかもしれないって。そうだ。明日はクレナの丘にピクニックに行きましょうか?」
 生徒たちから、わっと歓声があがる。
「旧世界の王宮の遺跡で、ゆっくり過ごしましょうね。じゃあ、また明日」
 生徒たちは、さよならをいってあっという間に教室を飛びだし、レアナはほっと息をつく。
 彼女は去年、従妹のユナとともに高等科を卒業し、地元の小学校の教師となった。子どもたちは可愛く、教えることは楽しい。けれど、いつか都の大学に行きたいという密かな夢を持っていた。そして、ユナだけはその夢を知っている。
 幼いころからずっと一緒だったユナは、誰よりも彼女の気持ちをわかっていた。そしてレアナも、誰よりもユナのことをわかっている。
 たとえばユナは、天真らんまんで陽気だけど、本当はとても寂しがり屋だ。濃い栗色の髪も明るい茶色の瞳もはっとするほどきれいで、村の若者たちの胸を焦がしているのに、ユナにはまったくその気がない。そして、ウォルダナの自然を愛しながら、心の奥には、亡くなった父親と同じように、遠い国へのあこがれを秘めている。
 片手に本を抱え、小さな校舎の扉を閉めて石段を降りると、レアナは空を見上げた。雲ひとつなく、吸いこまれそうに青い。こんな日はきっと、ユナはクレナの丘にいる。
 レアナはローレアの草原を歩き始めた。淡い水色の花が、さざめくように揺れている。
 ローレアは、この最果ての国だけに見られる草花で、古代の詩人ヨハンデリも愛したと伝えられ、早春の訪れとともに可憐かれんな水色の花を咲かせ、白樺の森や草原を染める。
 特にクレナの丘は、遠くから見ると、神々しい遺跡が、水色のヴェールのなかに幻のように浮かびあがって、息を呑むほど美しい。
 
 早春の丘を水色に染める
 うるわしのローレア
 
 レアナは口ずさむ。旧世界から歌い継がれてきたという古い歌。
 こうしてローレアの草原を歩いていると、なぜか不思議なきょうしゅうが胸を満たす。そして、小さな水色の花が、遠い過去からのことづてを、そっとささやきかけているような気がしてくるのだった。
 
 われはるかな地をさすらうとも
 雪解けの故郷に||
 
 レアナは立ち止まる。
 遠吠えが聞こえた気がした。どこか切なく、胸を打つ響き。誰かに呼びかけるような、歌うような遠吠え。
 狼||
 レアナは耳を澄ます。けれど、聞こえてくるのは、木立で歌う春歌鳥の声と、飛び交う蜜蜂の羽音、せせらぎと風の音だけだった。
 レアナはかぶりを振って笑う。空耳だ。このあたりに狼はいない。それに、狼の遠吠えなんて、聞いたこともないじゃないの。
 澄んだ小川をこえて白樺の木立を抜け、ふたたび広々とした草原に出る。きらめく川の向こう、古い遺跡をいただくクレナの丘が見えてきた。