第42章
マレンの荒野に虹色の光が降りそそいだのは、
灰色の騎士とその馬は次々とくずおれて砂と化し、その後ろに控えていた、ドロテ軍のマントを
形勢は一気に逆転。連合軍の指揮官トリユース将軍は、ただちに、二千騎のフィーンをギルフォスに向かわせた。
ギルフォスのドロテ軍は、フィーンの戦士が丘を越えて押し寄せてくるのを見ると、宮殿を捨てて敗走し、総崩れとなった。グルバダ亡きあと、攻撃の
鐘という鐘が鳴り響くなか、グルバダの最期とギルフォスの陥落を告げるフィーンの早馬が各地に放たれ、石工や
マレンの戦場には、いち早く早馬の知らせが届き、連合軍は、投降したドロテ兵と、正気を取り戻したルシナンとテダントンの騎兵をともなって、
そしてトリユース将軍は、ルシナンの騎兵部隊を率いてギルフォスに向かい、晴れ渡った空の下、盛大な歓声に迎えられたのだった。
歓声は、開け放した窓を通して、リーを見守るヨルセイスのもとにも届いた。
中庭に面したその部屋では、鍋が炉にかけられ、白すみれの根のやさしい香りが漂っている。リーは寝台で眠っており、胸もとの薄い掛布がゆっくりと上下して、おだやかに息をしているのがわかった。
無数にあった外傷はすべて
ヨルセイスは、掛布の上に出ているほっそりした腕を見る。その左手首では、
その三粒のダイヤモンドが、影の力からリーを守ったのだ。
ヨルセイスが駆けつけたとき、リーの心臓は鼓動を止め、彼の魂は身体を離れてあわいの世界をさまよっていた。その場で救命措置をほどこし、かろうじてこの世に呼び戻したが、もしも星の雫を身に着けていなかったら、彼の魂はとうに境界線を超えて旅立ち、ヨルセイスやエレタナの力をもってしても、呼び戻すことはできなかったであろう。
また、リーがユナのもとに走るのが、そして、ユナが剣の力を解き放つのが、あと少し遅かったら、ルドウィンやデューをはじめ、フィーンの精鋭たちも、無事ではすまなかったに違いない。フィーンの戦士は大量の矢を
彼らはみな剣の腕も立つ。しかし、フィーンといえども、灰色の刃を受けてその毒が全身に回れば、身体は自由を失い、
彼は、目の前で眠るリーのあどけない顔を見つめる。
囚われの身ではあっても、心はいつも気概にあふれ、祖母の語った伝説を信じて、希望を失わなかった少年。リーは姉とともに、つねに周囲の言動のすべてに注意を払い、今朝の儀式の詳細も、しっかりと把握していた。
リーがいたからこそ、ルドウィンと彼は周到な計画を立て、グルバダが剣を手放す唯一の機会を待つことができたのだ。
グルバダは、フィーンのダイヤモンドとゆかりある者の気配を鋭く察する。これまでリーが、グルバダの近くでは本能的に息をひそめていたように、彼らは完璧に気配を消す必要があった。
気配を消しながら、グルバダに狙いを定めることはできない。彼を狙おうものなら、グルバダは即座に察し、ヨルセイスの弓がうなるより早く、光の剣を手にしただろう。
ラシルが劇薬を浴びせることができたのは、ダイヤモンドとは直接なんのゆかりもない存在だったからだ。
リーが攻撃の直前にラシルに信号を送るといったとき、ヨルセイスは最初、異議を唱えた。彼女の動きは未知数だったし、彼女が激しく動揺すれば、グルバダに気づかれて、すべてがふいになってしまう。だがリーは、知らせれば、姉は心の準備ができるといった。それに、彼女はあの劇薬に詳しい。きっと、賢く使うと。
もちろん、ラシルが動かなくとも、ヨルセイスの矢が、つかの間グルバダの動きを封じただろう。けれども、その時間はずっとわずかだったに違いない。
そして、リーは最後に、レクストゥールの預言を読み解いた。預言が暗示するひとつの可能性を、鮮やかに……。
廊下に靴音が響き、ヨルセイスの物思いをさえぎった。軽いノックが続く。
扉を開けると、ワイス大尉とヒューディが立っていた。
「ヨルセイス」ワイスの声はおだやかで、静かな空色の瞳にも、つい今朝方、激しい戦闘に身を投じたことを感じさせるものはいっさいない。「リーは?」
「まだ眠っています。このままゆっくり休めば、順調に回復するでしょう」
「よかった」ワイスはいい、ヒューディもほっとした顔をした。
「いまユナのところものぞいてきた。彼女も眠ってるけど、エレタナは心配ないって」
ヒューディの言葉に、ヨルセイスも
「あなたがたは? まだ痛みますか?」
ヨルセイスは彼らの傷も手当していたが、まだ痛みを感じるようなら、ここでもう一度みておきたかった。
ふたりはすっかりいいと口々にいい、ヨルセイスはそれにも安堵して、デューの具合をたずねる。軽傷だったふたりと異なり、彼はユナと同じ部屋に運ばれて、エレタナの治療を受けていた。
「ああ、レインね。彼なら、ついさっき、トリユース将軍を出迎えにルドウィンと降りていったよ。エレタナは渋い顔をしたけどね」
ワイスはにやりとし、ヨルセイスは笑ってかぶりを振った。ランドリアも
「俺たちもこれから降りるところだ。きみはどうする? リーが落ち着いているようだったら、ラシルに任せられるかな?」
「ええ。彼女が戻ってきたら、すぐ降ります。いま薬草園に行っているんです。どうぞ先に行っていてください」
「わかった」ワイスはうなずく。
「それじゃ、あとで」とヒューディ。
「ええ。のちほど」ヨルセイスは笑顔でこたえた。
中に戻ると、ヨルセイスはリーが眠っているのを確かめ、窓辺に歩み寄った。中庭は高い建物に囲まれて日陰になっており、心地よい風が、彼の金髪をなびかせる。
歓迎の音楽が聞こえてくるなか、ヨルセイスはフィーンの国へと思いを
今回、彼を人の世界へ送り出したとき、王は、彼らの聖なる石が永遠に失われるかもしれないと、どこかで覚悟していたのだろうか……。
「永遠に失われたのではありませんよ」
澄んだなつかしい声に、ヨルセイスは振り返る。
銀色の髪。彼と同じ薄い水色の瞳||。育ての親であり師でもあるレクストゥールが、炉の並びにあるチェストの前にたたずんでいた。
「サラファーンの星は、光の世界に
レクストゥールの姿は、きらきらとした光の粒でできているようで、後ろのチェストや壁の模様が透けて見えた。その意味を悟り、彼はかすれた声でささやく。
「レクストゥール……」
「ええ」彼女はうなずく。「わたしにも、還るときが来ました」
彼女が王宮を去ったときから、いつかはと覚悟していたことだった。けれども、あまりにも早く、あまりにも突然だった。
「預言が
薄い水色の瞳が、限りなくやさしく彼を見つめる。
「ヨルセイス。そなたは、幼いころから、数え切れないほどの喜びを与えてくれました。長じてからは、己の信じたことに全身全霊を傾け、どんな危険もいとわず、今回も、よくユナを助けてくれました」
鋭い痛みが胸を貫き、ヨルセイスは彼女を見つめて立ち尽くす。
「そなたには、まだ時間があります。そのときが来るまで、そなたはこれまで通り、王と王妃を支え、人の世界との善き架け橋になってくれることでしょう」
「レクストゥール||」彼が口を開いたとき、廊下から軽やかな靴音が響いてきた。
レクストゥールは歩み寄り、ヨルセイスを抱きしめる。清らかな光がきらきらと彼を包み、澄んだ声がささやいた。
「神の御加護がありますように……」
新鮮な
「遅くなってごめんなさい。偶然、村の人たちに会ったんです。みんなどうにか生きていて、リーもわたしも生きてるって知って喜んでくれました。ほんとに、奇蹟のよう……」
「それはよかった」ヨルセイスは心からいう。
「ありがとう」ラシルはこたえ、弟に目をやった。「よく寝てますね」
「ええ。いまは眠るのが一番の薬です。あとは、目を覚ましたとき、美味しい冠草のお茶があれば完璧でしょう」
「祖母が時々作ってくれたんです」ラシルはほほえみ、炉にかけられた鍋をのぞく。「白すみれもいい感じ。わたし、ユナの部屋に行って、エレタナに、ユナが起きたら冠草のお茶を用意すると伝えてきますね」
「わたしが伝えてきましょう。あなたが戻ったら、彼女にひとこと声をかけて、下に行こうと思っていたのです」
「ほんとですか? じゃあ、お願いしようかな」
ヨルセイスはもちろんとこたえ、部屋を出る。そのとたん、抑えていた思いがあふれ出した。