第40章
「ヨルセイス……」
誰かが呼ぶ声に、ヨルセイスは目を開ける。
濃い
叫び声や弦の鳴る音、剣と剣が交わる音が耳に飛び込んできて、一気に記憶がよみがえる。ヨルセイスは、がばっと身を起こした。全身に激痛が走るなか、一瞬で状況を把握する。
彼がいるのは、大広間の北東の角、獣の彫像の下。右手のアーチは
ヨルセイスの瞳は、その弓の先、フィーンの矢に倒れた仲間を踏み越えてゆく灰色たちの向こう、暗い影が霧のように降りているのをとらえる。
その霧のなか、ユナとグルバダの姿が
影の力がユナを封じ込めているのがわかった。おそらく、フィーンの矢も剣も通さぬ強い魔力だ。みぞおちが締めつけられる。解くすべはあるのだろうか。
だが、
「だいじょうぶですか?」ラシルが心配そうに彼を見る。
「ええ。ありがとう」彼はうなずく。「あなたがたは、ここにいて」
そういって立ち上がったときだった。影の剣が
ヨルセイスは、はっと目を
ユナを外に追いやり、孤立させるつもりだ||。
「ヨルセイス」
振り向くと、リーが真剣なまなざしで彼を見上げていた。
「この台座の裏に、隠し扉がある。地下の洞窟につながってて、正面玄関の両側に抜ける通路に出るんだ。灰色たちは全員こっちの北側から飛び込んでくる。南の通用口に抜ければ、きっと外に出られるよ」
グルバダは、ユナがどうにか立ち上がるのを、面白そうに眺めながら、影の剣を手に、広い半円形の空間のなかほどを
ユナはふらつく身体を支え、光の剣を向ける。いたるところが痛み、剣を握る両手は、はためにもわかるほど震えている。
「その剣を手にしたところで、そなたにはなにもできぬ」
古代彫刻のようなグルバダの顔に、なかば哀れむような、なかば勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。
「大いなるダイヤモンドは、真の価値を知る者の手にあるべきだ」
「その通りよ」ユナはこたえ、まっすぐに彼を見つめた。「でも、それはあなたじゃない」
視線と視線が激しくぶつかる。
霧がうっすらと降りたようなこの空間のなせるわざか、あるいはユナの錯覚か、グルバダの射るようなまなざしが、一瞬かすかに揺れた気がした。ユナは目を細め、静かにいう。
「なにを恐れているの?」
真っ青な瞳に怒りが
「わたしはなにものをも怖れぬ」
銀の刀身がきらめき、見えない力が空気を切り裂く。ユナの身体は宙を舞い、宮殿前広場へ続くゆるやかな階段に叩きつけられた。その拍子に、光の剣が手を離れる。
身体が階段で弾み、地面に向かって落ちるあいだに、ダイヤモンドの刀身が、輝く軌跡を描きながら落ちてゆくのが見えた。ユナは夢中で手を伸ばす。
その手の中に、銀の柄が飛び込んできた。つかむと同時に、身体が地面を打つ。衝撃で意識が遠のきそうになったそのとき、なにかがユナの注意を引いた。
すべてが幻のように揺らぐなか、一騎の灰色が浮かび上がる。馬にまたがっていても、長身なのが見てとれた。
氷のように冷たい手の感触が、まざまざとよみがえる。彼女をさらい、
||人間だったときのこと覚えてる?||
||名前は?||
||家族はいたの?||
よろめきながら立ち上がり、その灰色が仲間の指揮を執っていることに気がついた。無秩序に大広間へなだれこんでいるように見えた灰色たちは、彼の指揮のもとで、正面玄関を駆け上がってゆく。
宮殿前広場を見渡し、絶句した。
漆黒の馬にまたがった灰色が次々と駆けつけ、広場の後方には、乗り捨てられた馬たちが延々とたたずんでいる。すべてが霧を通したようにぼんやりとしていたが、それでも、その光景はユナを圧倒した。
「壮観であろう?」
ユナは振り向く。グルバダが階段の上にたたずみ、彼女を見下ろしていた。
「しょせん
あたかも白昼夢を見るかのように、ユナの目の前に、デューとフィーンの戦士が、大勢の敵を相手に絶望的な戦いを強いられている光景が広がった。ルドウィンとヒューディの姿も見える。
「マレンの荒野でも、連合軍の運命は
ユナは眉をひそめる。
「よもやそなたは、出陣を待つわが騎士が、このギルフォスで待機していただけだとは思っていまい」
みぞおちに、冷たいものが広がってゆく。
「ドロテ軍の北の本拠地からも、すでに何万という大軍が各国に向かっている。じきに、最果ての地ウォルダナにも到達しよう」
「そんな||」
「彼らは、そなたの故国で、
ローレアの咲く丘。白樺の森ときらめく小川。
グルバダはユナの瞳の奥をじっと見つめた。
「なるほど、美しいところだ」彼はほほえみ、
ユナは心の守りを固め、あとずさりした。
「ユリディケ」グルバダは、ほとんど優しいともいえる表情でユナを見る。「素直にわたしの僕となり、この不毛な戦いを終わりにせぬか?」
ユナは黙って見つめ返す。
「さきほど、そなたもはっきりと感じたはずだ。二本の剣は、切っても切れぬ深い
心が激しく揺れた。剣を持つ手を通して、それはいまも、ありありと感じられる。どれほど認めまいとしても、否定することはできなかった。光の剣と影の剣は、呪われた運命で結ばれ、互いを強く求めている||。
「さあ。剣を差しだすがよい」真っ青な瞳がユナを見つめ、甘い声がささやく。「そうすれば、そなたの愛する者には、特別な
ヨルセイスは弓をたずさえ、灰色の
ここは、エレドゥ峡谷からこのギルフォスまで続く壮大な洞窟。
昨日、マレンの荒野からこの洞窟に降り立ったとき、ヨルセイスには、ルドウィンは生きているという強い予感があった。エレタナのリュールをかかげて闇をさまよう友の姿がずっと心に浮かんでいたのだ。ヨルセイスはほどなく彼を見つけ、ともに迷宮にたどりついたあと、もうひとり、古き友を探したのだった。
難しくはなかった。友は、かつて星の
いま、その三粒のダイヤモンドはリーの左手首で青く輝き、暗闇できらめく軌跡を描いてヨルセイスを導いている。
「もうすぐ通路だよ!」リーが振り返る。