二日後、ユナたちはエルディラーヌに向けて発った。
テタイアの南には白銀の川が流れ、その対岸はエルディラーヌなのだが、両岸には延々と断崖絶壁が続き、河畔に降りることすらできない。そこで、いったんルシナンに入ったあと、白銀の川を目指すという。
宮殿に来たフィーンの精鋭の半数が、昨日のうちに発っており、港で準備を整えて待っているとのことだった。
そこまでは、馬での旅だ。ユナは支えられれば歩けるようになり、リーも寝台の上で起き上がれるまでに回復し、デューもずいぶん良くなっている。フィーンの馬なら、かつてルドウィンを運んだように、怪我人をやさしく運ぶことができるため、馬車よりずっと負担が少ないとのことだった。
ユナはヨルセイスが今回乗ってきた白馬にエレタナと、リーはヨルセイスの葦毛にヨルセイスと相乗りをして、デューはもちろん、ルドウィンとラシルもフィーンの馬を借りるなか、ヒューディは例の農場で失敬した若駒をともとした。黒い大きな目をした明るい鹿毛で、ユナもひと目で好きになった。
ラシルとリーの村の者は、すでに故郷に向けて発っており、一行を見送ったのは、宮殿に残ったフィーンの精鋭とサピというひとりの庭師で、それはごく静かな旅立ちだった。
晴れた空の下、金色に実ったマレンの実が太陽の光に輝いている。風もきらきらと澄み渡り、あのとき降りそそいだ虹色の光が、世界を洗い清めたかのようだった。
道中もおだやかで、砂嵐に遭うこともなく、夕暮れどきになると、ヨルセイスは全員が休めるような洞窟を見つけた。
黒猫のアイラは、昼のあいだはどこにも姿が見あたらないのに、夜になり、みんなで焚き火を囲んでいると、決まってリーのそばに現れた。
時おり気まぐれに、ユナの足もとにもすり寄ってきた。そっとなでると、アイラは温かく、ベルベットのようにすべらかだった。
夏至の朝。太陽がまばゆい光を投げかけるなか、一行は、シャナイ山麓の南端からリーズ川を越え、ルシナンに入った。
国境にはワイスが迎えにきていた。佐官階級の軍服に身を包み、胸には真新しい勲章が輝いている。トリユース将軍と司令部に戻ったあと、ヴェテール奪還とギルフォスの決戦における貢献により、二階級特進で中佐に昇進したのだった。
デューがワイス中佐と呼びかけると、彼はほおを染め、レイン大佐と呼び返した。
「俺はまだ少佐だが」
デューは眉を上げ、ふたりは笑って馬を寄せる。馬上で抱擁を交わしたあと、ワイスがいった。
「この先の村で、トリユース将軍が手ぐすね引いて待っている。昼食と、大佐の肩章を用意してね」
それから彼は、特別な働きを
そして、古い水車のある小さな村でのうれしい再会のあと||ジョージョーはユナとルドウィンとヒューディに抱きついて、人目もはばからずおいおい泣いた||彼らはトリユース将軍に先導されて村を発った。ルドウィンはアリドリアスに乗り、ジョージョーは、ルドウィンが乗ってきたフィーンの馬にまたがって、白銀の川の港へと。
港ではフィーンの精鋭たちが待っており、白銀の川に浮かぶ美しい
雄大な流れの向こうはエルディラーヌだ。右手には白亜の崖が連なっていたが、対岸はなだらかで、さまざまな色調の緑が、午後の陽光に輝いている。
船からは、ゆるやかな渡り板が掛けられ、ユナたちは河岸から騎乗のまま乗船し、馬を預けたあと、
「二千年前は、このあたりは川幅が狭く、流れも急で、このような船は入ってくることができませんでした」ヨルセイスがいう。「そのため、ずっと小型の船で、この川を下ったものでした。つい昨日のことのようです」
行く手を見つめる水色の瞳が、心なしか深い
「あの||」ジョージョーがいう。「ひい
「ええ。白銀の川は一見おだやかに見えますが、水面下の水の流れが複雑で、ところどころ大きな岩が隠れています。
「座礁||?」
「安心してください。わたしたちはこの川を知り尽くしていますから」ヨルセイスは笑った。
船は風をいっぱいに受け、悠々と流れる大河をゆっくりと下りはじめる。ユナは、ルドウィンと並んで甲板の手すりにもたれ、過ぎゆく光景を眺めた。
「エルディラーヌに行けるなんて……」吐息をもらし、ふと隣を見上げる。「ルド」
「ん?」
「もしかして、クレナに帰るのを待ってほしいっていったとき、平和会議がエルディラーヌで開かれるのを知っていたの?」
「いや。あのときは、まだ決まってなかった」ルドウィンはこたえ、軽く眉を上げていいそえた。「ヨルセイスから、そうなるかもしれないとは聞いていたけどね」
甲板で景色を楽しんだあと、ユナたちはお茶の用意が整えられた広い部屋に移った。
リーは、馬上ではヨルセイスに支えられ、半分眠っていることもあったのに、この日はずっと起きていて、いまも、濃い
「リー」ラシルがいう。「ちょっと休んだほうがよくない? 着く前に起こしてあげるから」
「もういやというほど眠ったよ。船の旅は初めてだし、それに、エレタナやヨルセイスと一緒にフィーンの船でエルディラーヌに行くんだ。寝てなんかいられないよ」
「そんなこといって、着くころに眠くなっても知らないから」
ラシルはいったが、リーはまったく意に介さず、エレタナを見上げ、子どもらしい率直さで、フィーンの王と王妃はどんな方なのかとたずねた。
「失礼なこと聞かないの」あわててラシルが口をはさむ。
「かまわないわよ」エレタナはにこやかにいった。「そうね、リー、ふたりはわたしの両親だけど、すべてのフィーンにとっても、かけがえのない存在だと感じているわ。たぶん、平和を愛する気持ちが、フィーンの中でもことさら強いんじゃないかしら。暗い時代に、みんなを率いていかなければならなかったから」
リーはじっと耳を傾け、他の者も静かに聞き入る。
「フィーンはみな金色の髪をしているけれど、その中で、父とレクストゥールだけは違っていた。レクストゥールは銀色で、父は黒髪。そのうえ父は、七色に変わる瞳を持って生まれたの。たとえば、真っ赤に燃える瞳は激しい怒りを、きらめく金色は大いなる喜びを映しているといわれているわ。わたしは、そのどちらも見たことはないけれど」
「いつもは何色なの?」
リーの問いかけに、エレタナはちょっと考える。
「そうね、緑に近い
「王妃様は瑠璃色の瞳をしているの?」
「ええ、そうよ」エレタナはほほえむ。「明るい瑠璃色の瞳に、絹のようにつややかな金髪をして、やさしいけれど、芯は強くて、父の心の支えになっている。少女時代は、たいそうなお
「ええ、本当に」ヨルセイスはこたえ、「そうそう。あなたの小さいころも、よく似ていましたよ」
「あら、そうだったかしら」
エレタナは、いたずらを見つかった子どものように肩をすくめ、みんなが思わず笑ったところに、甘酸っぱい香りを漂わせて、黄金色の焼き菓子が運ばれてきた。
「わぁ」リーが目を輝かせる。
「ミンカです」ヨルセイスがいった。「その昔、エルディラーヌに渡った人たちから教わったものです」
お茶のおかわりもふるまわれ、干し
リーはすっかりミンカが気に入り、いくつもほおばりながら、二千年前の恋物語を聞きたがった。エルディラーヌの大会議で出逢ったランドリア王子とエレタナ王女の物語を。
十一歳の子どもの質問に、はにかみながら応えるふたりは、なんだかとても初々しかった。そして、デューがとうとう、ちょっと話題を変えないかなといって、どっと笑いが起こるまで、初めて逢ったときに、エレタナが瞳と同じ濃い紫に輝く
旅は順調で、船は白銀の川をすべるように進んでいった。ルドウィンは、トリユース将軍やデューたちと会議について話しており、ユナはヒューディと甲板に出て
もうすぐフィーンの王と王妃に会うのだと思うと、胸の奥が苦しくなる。自分は本当に使命を果たしたといえるのだろうか。エレタナはまっとうしたといってくれたけれど、大いなるダイヤモンドをフィーンの手に還すことができなかったのに、本当にそういえるのだろうか。
そんなことを思いながら、ふと船首の方に目をやると、ひとり行く手を見つめるエレタナの姿があった。
かつてエルディラーヌから手に手をとって逃げたあと、ランドリアはダイロスとの一騎打ちで命を落とした。今回、ふたりは初めて一緒にその地に戻るのだ。今度は父も認めてくださると思う||そうエレタナはいっていたが、やはり不安に違いない。
なにか声をかけようかと思ったとき、デューが甲板に出てきた。ユナとヒューディに目で笑いかけたあと、エレタナのもとへ歩み寄る。それから、だいじょうぶだよというように、そっと彼女を抱き寄せた。
夏至の日は長く、船はまだ明るいうちにエルディラーヌの都に着いた。緑の庭園に囲まれた王宮が、陽の光に輝きながらゆっくりと近づき、いくつもの鐘が鳴り響く。歓迎の鐘だとヨルセイスがいった。
王宮の船着き場では、王
王は夜の
その姿は威厳に満ちて近寄りがたく、
気がつくと、王妃が目の前にいた。
「ユナ」湖を思わす瑠璃色の瞳がユナを見つめる。「こうして会えて、本当にうれしいわ。なんて素敵な夏至の日でしょう」
王妃はほほえみ、王がユナにかけた言葉が、古いフィーンの言葉で、永遠の祝福を意味するのだといい、わたしからも祝福をと、ほおにやさしくキスをした。
かたわらでは、エレタナが王にデューを紹介している。王妃はユナを抱き寄せたまま、そちらに目をやり、ふたりの男が見つめ合うのを、心配そうに見守った。
王の瞳の色が深まり、濃い藍色を帯びる。あたかも、過去のすべての悲しみがよみがえったかのように……。
ユナがはっとした次の瞬間、デューが笑顔でいった。
「お久しぶりです、陛下」
王の瞳に、金色の光がきらめく。それから、大きく一歩踏み出すと、力強い腕でしっかりと彼を抱きしめた。
第43章(2 / 2)に栞をはさみました。